車のある風景

同時進行

松任谷正隆
2022.07.16

イラスト=唐仁原教久

2022.07.16

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1年点検を受けると、だれにでもチャンス

音楽プロデューサーでありモータージャーナリストでもある松任谷正隆さん。無類のクルマ好きとして知られる松任谷さんのクルマとの深い関わりをエッセーでお届けします。今月のエピソードは、今から40年ほど前、松任谷さんがまだ駆け出しのミュージシャンだった頃の出来事。 


同時進行

この話題は、どこかで書いたことがあるのだが、ちょっと面白いのでもう一度書いてしまおうと思う。あれ? 2度目だったよなあ……3度目だったか……? スタジオミュージシャンが高額納税者であったという、はるか昔の話、である。40年くらい時間を巻き戻してもらえると助かる。僕はまだ駆け出しのミュージシャン。とはいえ、ただのピアノ弾きから、譜面を書いて編曲をするというアレンジャーになりたての頃だった。ピアノを弾くだけだと時給6,000円程度、アレンジをするとプラス1万2000円くらいだっただろうか。今思えば2日くらいかけてうんうん唸りながら譜面を書いて1万2000円は安いよなあ、と思う。


書いた譜面は、それぞれの楽器のできるスタジオミュージシャンたちが演奏する。いや、演奏していただく。少なくとも当時はそうだった。ミュージシャンはインペグ屋といってミュージシャンの置屋みたいなところが集める。そしてスタジオに一同集合するわけである。面白いのは楽器の種類ごとにクルマの趣味がほぼ決まっていることだった。ドラムあたりは楽器運びがあるので、当然のことながらワゴン。それも割合地味に国産車が多かったように思う。ギタリストはちょっと目立つクルマが多かったような。まあ、今でも派手なクルマに乗るギタリストが多いのはご想像の通り。ストリングスはちょっと偉くなるとドイツ車である。ま、オーケストラはヨーロッパが本場だから、なんて考えると当然かなあ、と。でもって最も派手なのがフルサイズのアメリカ車に乗ってくるブラスの連中。もう、この人たちが本当に怖かったのだ。


僕が、おふくろにぶつけられて凹んだボロボロの国産車で行くと、この人たちのクルマで占領されていて駐車場はいっぱい。仕方なしに近所の駐車場を探しにぐるぐる回るといった具合。当時はコインパーキングなんて洒落たものはなかったもの。これが大変だった。運良く僕が先に来て止めていると、「おい、あの汚いクルマは誰んだ?」とか言われて移動させられたり、とか。まあ、どの世界でも駆け出しなんてみんな不条理な目に遭うわけです。


不条理な目に遭わせるのは年上のミュージシャンばかりではない。インペグ屋のおやじも、駐車場のおじさんも、である。僕の知る限り、スタジオの駐車場のおじさんはみんな揃って意地悪だった。目の前に空いているスペースがあるのに、ここは予約が入っているからダメ、とか。「それでは近くにどこかありませんか?」と聞いても「知らねえな」みたいな。今でも記憶に残っているのは2台止められるスペースのど真ん中に1台の高級スポーツカーが止まっていて、僕がおじさんに、「普通に止めれば2台入るのになぜですか?」と聞くと、あの人は売れてるからいいんだ、みたいなことを言われたりして。一度、頭にきて「それじゃあ帰るから責任はおじさんが取ってくださいよ」と啖呵(たんか)を切ったこともあるが、ふうん、と鼻で笑っただけで何の効果もなかった。もちろん僕も帰れるわけもなく……。気が弱いよなあ。


さて、面白い話はここからである。そんなわけでスタジオの広い待合室で隅の方にこっそりと座って開始時間を待つ僕である。待合室の真ん中ではブラスの連中が大声で下品な話に夢中。ところが有名な作編曲家の先生が入ってくると、こういう連中に限ってささっと特等席を譲るわけだ。先生はおもむろにラジカセをとりだし、まっさらな譜面を広げ、なにやら書き始める。えっ? 当日書くの……。僕はびっくりである。こっそり見ると、なにやらものすごい勢いで書き込んでいらっしゃる。普通、フレーズは考えてから書くものなのに、この人は考えるのと書くのが同時のようだ。
あまりの衝撃に、その話を当時つきあい始めたばかりのかみさんにすると、「知らないの? あの人は今一番売れていて、1日に10曲以上やるんだよ。間に合わないときは2台のラジカセを並べて、2種類の仕事を同時にやるんだよ」という。えっ? そんな神業みたいなことができるの……。そこで僕は完全に自信喪失、というわけ。


どう考えても僕には無理だ。2曲違う音を同時に聴いたら頭の中がグルグルになるはず。それでも、才能のある人というのはその中から音を抽出できるのか……? この話、恥ずかしいことにほんのちょっと前まで信じていたのだ。そして偶然その先生とお話しする機会があり、2台同時、という話を恐る恐るしたところ、こんなふうに言われたのだった。


「君、クルマ2台並べて同時に運転できますか?」


先生曰く、ラジカセを2台並べたときもあるが、それは片方が壊れたから。そして、ものすごい勢いで書いていたのを見たとしたら、それは譜面を写すだけじゃなかったのかな、と。僕はいまだにドアのないクルマを2台並べて、隙間から落ちそうになりながら必死に運転する夢を見ることがある。

松任谷正隆

まつとうや・まさたか 1951年東京生まれ。作編曲家。日本自動車ジャーナリスト協会所属。4 歳でクラシックピアノを始め、20歳の頃、スタジオプレイヤー活動を開始。バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」を経て多くのセッションに参加。現在はアレンジャー、プロデューサーとして活躍中。長年、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、自他共に認めるクルマ好き。

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