車のある風景

ロシアと僕

松任谷正隆
2022.05.16

イラスト=唐仁原教久

2022.05.16

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音楽プロデューサーでありモータージャーナリストでもある松任谷正隆さん。無類のクルマ好きとして知られる松任谷さんのクルマとの深い関わりをエッセーでお届けします。今月のエピソードは、松任谷さんを父のように慕うロシアの友人について。


ロシアと僕

ロシアとウクライナが大変だ。毎日そんなニュースばかり。これが掲載される頃には、上手いこと収束してくれているのだろうか。それとも……それを考えるのはよそう。僕はこのニュースを複雑な気持ちで見ている。一般人よりはたぶん少し複雑だと思う。僕はロシアとはちょっと縁が深いからだ。


先日もロシアの国営サーカスのアーティストである女性とチャットでやりとりをした。彼女曰(いわ)く、国のトップが2枚の書類にサインした途端にすべてが変わってしまった……らしい。すべての物価はあっという間に2倍になり、さらに今も上がり続けているという。まだスーパーマーケットで食べ物は買えるらしいが、それもどれだけ続くかも分からない、という。ザラもイケアもアップルストアも全部クローズらしい。さらに、この会話ももしかすると続けられなくなるかもしれないから、と、違う連絡方法を教えてもらった。つい最近まで暢気(のんき)な会話をしていたことを思い出すにつけ、世の中が変わるのはあっという間だ。彼女は最近、クルマを買い替えたばかり。6年くらい乗っていた韓国製のクルマから日本製のSUVへ、だ。気に入っているの? と聞いたら、そりゃあもちろん、と言う。まあ、それまでのクルマが背の低いセダンだったから、目線の高いSUVは新鮮なことだろう。


時差の関係か、彼女はしょっちゅうこちらの夜中に電話してくる。電話をしてくるのはたいていクルマからだ。また混んでるの? と聞くと、まあ、いつも通り、と答える。そうか、あの広い片側5車線もあるような道が混んでいるんだな、と僕は想像を巡らす。本当にロシアの道はだだっ広い。メインの道ならどの道路でもジャンボ機が離着陸できるだろう。5車線の道路はゴチャッと混み、クルマが頭を突っ込みあって、まるで餌(えさ)をもらうときの池の鯉みたいだ。そんな絶望的な渋滞も、慣れっこになっている彼らにはどうってことないらしい。ふうん、それで家まではあとどれくらい? と聞くと、ナビでは30分と言ってる。でもあと5㎞くらいだから……だそうだ。ねえねえ、いくら渋滞とはいえ、携帯で話していると捕まるんじゃない? と言うと、大丈夫、イヤフォンで話してるから……。話しているそばからピーポーと警察だか、救急車のサイレンが聞こえる。事故なの? と聞くと、分からない、でも渋滞とは関係ない、と言う。


彼女はリハーサルをするサーカス小屋(と言っても大きなアリーナだけど)からの帰り道、こうやってかけてくるのが好きなのだ。あと10分で着くからもう少し付き合って、と言う。いったい何語でやりとりをしているんだ、と思われるかもしれない。僕らはお互い、下手な英語で会話をする。僕も下手、彼女も下手。だからときどきちょっと待って……と言ってスマホの翻訳機能で言葉を探す。おいおい、クルマが動いていたら危ないぞ。翻訳で分かるときもあれば、分からないときもある。


彼女と知り合ったのは今から15年前。僕が演出をした『シャングリラ』というショーだった。彼女は20歳だったか21歳だったか。モスクワのサーカス会場で彼女は他の2人の女の子たちと3人で、このシャングリラのためにリハーサルをしていた。ほぼ新人だった。おじいさんの先生が彼女たちにつきっきりで指導をしていた。ロシア語の発音はどこか怒って聞こえる。おじいさんの声もなんだかずいぶん厳しそうに聞こえた。30〜40分ほどのリハーサルのあと、疲れ切っている彼女たちの顔は今でも記憶に残っている。リングを使った技だったのだが、命綱も付けず、高いところで演技をするわけだから厳しくて当然だろう。近寄って「ズドラストヴィーチェ」(こんにちは)と言うと、彼女は恥ずかしそうにうなずいた。


それが最初だった。それから本番が始まるまで何度もモスクワに行き、リハーサルをし、本番を迎える頃にはなんだか仲良しになっていた。日本でショーが始まると、ドライブに行きたい、と言うので日本人のクルマ好きたちとサーカスの何人かで箱根に出かけた。クルマのルーフで倒立をしている彼女の写真は傑作だ。きっとルーフは凹んでいるぞ。彼女の夢はモスクワで中古車屋を経営すること。好きなクルマに囲まれて暮らしたい、という。確かにアスリートライフはそんなに長くはない。そうやって自分の生き方を決めるのも大事だろう。僕は取材でスーパーカーなんかに乗ると写真を撮って彼女に送る。するとすぐに返事が来る。ファンタスティック!! そのクルマは私の夢! だって。


何年か前に父親を亡くした彼女にとって、僕は日本のお父さんだ。ロシア人の家族愛は本当に強い。だから何かにつけ、いろいろなものが送られてくる。まるで実家からものが送られてくるように。早くこの戦いが終わるといいね……。

松任谷正隆

まつとうや・まさたか 1951年東京生まれ。作編曲家。日本自動車ジャーナリスト協会所属。4 歳でクラシックピアノを始め、20歳の頃、スタジオプレイヤー活動を開始。バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」を経て多くのセッションに参加。現在はアレンジャー、プロデューサーとして活躍中。長年、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターを務めるなど、自他共に認めるクルマ好き。

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