自動車整備技術で日本一に挑む! 自動車整備技能競技大会の舞台裏
安心・安全を支える自動車整備士たち【第3回】北見地方3回目となる優勝は、何代も続いてきた顧客の信頼を得る不断の努力があってこそ
急速に電子化が進むなか、ハイブリッド自動車、電気自動車など最新の技術を活用する自動車が整備業界を大きく変えようとしている。そんな時代にも必要となる技術力をしっかりと育んでいこうと、2年に一度開催されているのが「全日本自動車整備技能競技大会」だ。
今回の取材では、2024年11月に開催された“第24回”大会で見事、優勝を果たした北海道/北見地方代表の廣井晃彦さん(湧別町農業協同組合)と、佐々木昭弘さん(清里町農業協同組合)のお二人を訪問。今回は、前回の廣井さんに続き、佐々木さんの整備士としての素顔を追った。
整備士としての原点は何年も動いていない車両を黙々と修理した高校時代
佐々木さんが勤務する「JA清里町農業機械センター」。JR清里町駅のほど近い場所にある
佐々木さんが整備士として勤務するのは、北海道清里町農業協同組合が運営する整備工場だ。取材したのは日中の気温が氷点下という1月。今年は例年になく暖かく、降雪量が少なかったとはいえ、そこはオホーツク海のすぐそば。道路の周辺には真っ白な雪原が広がり、風が吹けばクルマの前方は地吹雪のようになって視界を遮る。
やがて清里町の市街地へ到着。本来なら背後に日本百名山の一つ「斜里岳」が見えるはずだが、小雪混じりのこの日は残念ながらその姿を拝むことはできなかった。そんな清里町のメインストリートから少し外れ、釧路本線の踏切を越えると整備工場の「JA清里町農業機械センター」はあった。
到着した時間が少し遅めとなってしまい、事務所では待ちかねていた佐々木さんが出迎えてくれた。ここからは前回の廣井さんと同様、まずは佐々木さんの人物像から紹介してきたい。
整備士になられた方の多くが、機械いじりが好きだったことを話すが、佐々木さんの場合はそれを飛び越える強いこだわりがあったようだ。高校時代は周囲がファッション雑誌などの話題になる中、佐々木さんは同じ機械いじりを趣味としていた仲間と一緒に、何年も動いていないホコリをかぶっているバイクや車を探してはそれをバラして直すことに夢中になる。佐々木さんはこれが楽しくて仕方がなかったという。
ただ、この時点でそれはあくまで趣味の領域であり、それを職業に結びつける考えはなかったという。本気で整備士としての道を考え始めたのは、友人が札幌にある整備系の短大に進学するという話を聞き、「そうか、そんな道があったか」と思うようになったからだ。さっそく高校で進路相談すると、地元の整備工場を紹介してくれた。そこでまず二種養成施設で三級整備士の資格を取り、そこから佐々木さんの整備士への本格的な道が開いたというわけだ。
整備士として10年のブランクを乗り越えたその力量が優勝へと結びついた
最近は現場から離れ、事務方の仕事が増えてきたと複雑な思いを語る佐々木さん
とはいえ、佐々木さんもそのまま整備士を続けていたわけではなかった。途中、都会への憧れがあったのか、整備工場を辞めて札幌へと引っ越し、まったく違った仕事に従事する。その後、地元に戻ることになり、仕事を探す中で再び整備士になることも考えたが、この時点でそのブランクは10年近くにも及んでいた。そんな矢先、現職場から声がかかる。これが佐々木さんの整備士としての想いを再び強くしたのだ。
ただ、この10年のブランクはとても大きかったと佐々木さんは話す。以前ならエンジンの点火装置に用いられるディストリビュータの車両などがあり、点火時期調整なんかも普通にやっていた。それが10年の間にダイレクトイグニッションで各シリンダーに直接点火する時代に大きく変化していたのだ。まさに浦島太郎状態だったという佐々木さん。そこから過去の経験も活かしつつ、現場での猛勉強が始まり、徐々に整備士としての頭角を現し始めた。今回の競技大会への参加もその仕事ぶりを見ていた上司が勧めたものだったそうだ。
「ほとんど緊張はなかった」と競技大会へ参加したときの心境を語る佐々木さん
初めての競技大会にもかかわらず、緊張はしたものの案外冷静だったという佐々木さん、その時の心境について改めて伺うと「廣井さんという経験者がいたことが大きかった」と話す。特に、出された課題は電動化の時代に合わせたもので、佐々木さんとしては予想外であった。「それを見たときは自身ではどうすべきか戸惑ったりもした」そうだが、事前に勉強をしていた廣井さんの協力もあって焦ることなく課題をクリアすることができたという。
そして初めての競技大会参加で優勝という栄誉を佐々木さんは勝ち取った。職場の仲間とはグループLINEでつながっていたため、そのことを報告すると中には興奮して眠れなかったという人もいたそうだ。どうもご本人よりも周囲の人たちが想像以上に興奮して盛り上がっていた様子だったようだ。もちろん、優勝するまでの佐々木さんの努力する姿は仲間たちも見ていたわけで、佐々木さんは「そんな後輩にぜひ続いてもらいたい」と次の競技大会への出場に期待を寄せた。
どんなクルマでも対応する“整備士魂”が高い信頼性の獲得につながる
整備工場には1980年代の三菱ふそう「Fシリーズ」や、日野「レンジャー」が整備待ちしていた
さて、今回の取材では、そんな佐々木さんの仕事ぶりを拝見するために、仕事現場にも立ち入らせていただいている。
整備工場と言えば、整備車両が整然と並ぶ姿を予想するが、足を踏み入れて驚いた。そこで見たものはなんと、1980年頃に活躍していた三菱ふそう「Fシリーズ」や、日野「レンジャー」といった往年の名車たちだったのだ。しかも、どれもがピカピカの状態だ。思わず「ここは博物館か?」と勘違いしそうになったが、ここは紛れもなく清里町にある自動車整備工場である。しかも、これらのクルマはすべて“現役”で活躍しているのだという。
整備が終わった後は預かった車両を徹底して磨き上げるのも重要な仕事の一つだ
佐々木さんによれば、実はこれらのトラックが使われる輸送範囲のほとんどが地元のエリア内であるため、走行距離はほとんど伸びない。それだけに車両としての傷みもそれほど進んでいないのだという。とはいえ、経年劣化はあるし、現役として動かす以上、当然ながら車検は受けなければならない。車検の際は各部を徹底して磨き上げてお返ししているとのことだ。
そうした中で問題となるのが、時代が経っている車両であるが故に部品が思うように調達できないことだ。しかし、佐々木さんは「なければ自分で(部品を)作ればいい」と淡々と話す。実はここにこそ、佐々木さんならではの“整備士魂”が垣間見える。
こちらの整備工場のお客様は、祖父の時代からお付き合いしている人が多く、それだけに持ち込まれる車両も時代が経ったものが少なくない。また、北見地方特有の仕様もあり、その車両は大型特殊から耕耘機に至るすべてが対象だ。そんな佐々木さんの思いが多くのお客様の信頼を獲得し、それがまた整備士としての励みにもなっていく。
現在、佐々木さんが力を入れているのが後輩に対する指導だ
まさにそんな不断の努力がもたらした経験が競技大会の優勝の座を射止め、同時にそれが顧客からの高い信頼性の獲得にもつながったのは間違いない。次回の競技大会に佐々木さんの後輩が出場することになった際には、再び栄冠を射止めてくれることを期待したいと思う。
優勝した「第24回 全日本自動車整備技能競技大会」の記念のカップとタテを持つ廣井さん(左)と佐々木さん(右)
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