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90年代スポーツカー特集のキービジュアル
構成=ダズ / 文=近藤暁史

R34GT-R、80スープラ、タイプRシリーズ…昭和世代が憧れた! ネオクラシックな90年代スポーツカー

好景気の時代に開発されたネオクラシックカーを一挙解説

1990年代、各メーカーにはスポーツカーが存在した。ハイパワーなエンジン、流線形のシルエット、昭和生まれがみんな、若い頃に憧れていたクルマだ。現代にはない希少なスポーツカーは、海外、特にアメリカでも根強い人気がある。そんな、90年代の国産スポーツカーを集めてみた。


90年代は、我が国スポーツカーの名車が次々と誕生した黄金期

スカイラインR34 GT-R Vspec(1999年)

R32のGT-Rに始まり、1990年代とともにあった第2世代 のGT-R。その完成形がR34型だろう。ボディ剛性など、それまでのRとは別格レベルだった

1980年代後半に幕を開けたバブル経済は1990年代初頭に終焉したとされるが、超が付くほどの好景気はその後もしばらく続き、日本の自動車史においてもっとも輝いていた時代を形成した。自動車の場合、数年前から開発が始まっているため、1990年代初頭に登場したモデルでも1980年代後半に開発がスタートしていることになる。つまりバブルの絶頂期に開発された、この時期のクルマたちは、潤沢な費用をかけて開発されたものが多かった。

技術的にも1980年代初頭に始まったマイコンの採用やターボなどは、1990年代になると、さらに成熟したものとなって走りの進化を支えた。その真骨頂となったジャンルのひとつがスポーツカーだ。パワーを最大限に引き出すためにはやはり最新技術、そして今までにない素材が必要になるが、そのための開発費用は潤沢なだけに問題はなかった。その実験の場としてモータースポーツへの参戦が積極的に行われ、国内カテゴリーだけでなく、世界ラリー選手権(WRC)やル・マン24時間など、世界の舞台でも日本車は暴れまくって大活躍。もちろんそこから得られたノウハウは市販車にフィードバックされ、さらなる成熟へとつながった。

具体的に見てみても、1990年代に生み出された技術は枚挙にいとまがない。ターボは純正でもツインターボ化は当たり前。中のインペラの回転慣性を抑える軽量なセラミックターボも1990年代の象徴だ。エンジンパワーも急激に向上。その結果、Z32型フェアレディZの登場がきっかけで運輸省(現国土交通省)の指摘が入り、導入されたのが出力の上限を自動車メーカーの団体(日本自動車工業会)が自主的に定める、いわゆる280ps規制で、技術の向上と出力の頭打ちというジレンマに悩まされることになる。ちなみにこの壁を超えた国産車は2004年に登場したホンダのレジェンドで、300psを発揮した。
エンジンに組み合わされる駆動系では、よりキビキビとした走りが楽しめる、夢だった6速MTが採用され始める。4WDもスバルが先んじていたものの、1990年代に入ると、アテーサなどの前後トルク配分システムが続々と登場。また三菱のランサーエボリューションでは左右でのトルク配分も実用化されるようになった。自在なトルク配分、しかも電子制御に頼らないものというのは1990年代の象徴と言っていい。それを時にはアナログで設計し、試作して実験を繰り返し、実用化にこぎつけたのは今では考えられないことだろう。ちなみに電子制御が進むのは2000年以降のことだ。そのほか、4WSは1980年代の技術と思われがちだが、日産のHICASは電動化などにより違和感を払拭。GT-Rをはじめとした1990年代スポーツにも積極的に採用されていた。

またデザインも自由度が増したことから、一気にレベルが上がり、現在見ても古さを感じさせないものが多い。走りにも不満はなく、今のような規制もなかったことから個性的なクルマが多く、アメリカやヨーロッパ、オーストラリアなどで1990年代の日本車の人気が高まっているのもうなずける。アメリカでは原則として右ハンドル車の輸入が禁じられているが、製造から25年以上経過するとクラシックカー扱いとして規制が解除される、通称「25年ルール」が存在するため、ルールが適用される第2世代のGT-Rなどの人気がさらに高まっている。1990年代のスポーツカーが世界でも認められるというのはうれしいことでもあるが、価格の高騰で手に入れにくくなるなど複雑な思いもある。いずれにしても海外で人気になるということは、当時は思いもしなかったことだ。

レースに勝つために復活した 日産スポーツの真骨頂モデル

日産スカイラインGT-R

スカイラインR32 GT-R(1993)

レースを想定して排気量を2.6Lとするなど、戦うために復活したR32型GT-R。アテーサなど日産らしい技術が満載だった

スカイラインR33 GT-R(1995)

ボディがワイド化などして、走りのシャープさが削がれたR33型。どっしりとした乗り味は最近では再評価され人気は高い


スカイラインR34 GT-R Vspecリアビュー(1999年)

上級グレードとなるのがVスペック。写真のR34ではアドバンスドエアロシステムやアクティブLSD、アテーサE-TSプロなどを特別装備

1990年代の国産スポーツカーを代表するモデルといえば、スカイラインGT-Rだろう。レース参戦を想定して開発されたR32型は1989年に登場。「勝つために生まれた」GT-Rの復活はファンを熱狂させた。その後、ボディを拡大し快適性を向上させたR33型が投入され、99年にR34型が再びボディサイズを絞って登場。RB26DETTツインターボエンジン、四輪駆動システムの「アテーサ E-TS」、四輪操舵システム「Super HICAS」など最先端のメカニズムを搭載する第2世代のスカイラインの集大成として、その性能をさらに進化させていった。

スペシャルティカーとして若者から絶大なる支持

日産シルビア

Silvia Almighty(1992)

キャッチフレーズは「アートフォース・シルビア」というだけあって、伸びやかで流麗なボディラインは当時、先進的だった(写真はS13)

Silvia_SpecR_Aero_S15(1999)

メカニズムはS13型からの正常進化となったが、ボディ剛性などは大きく高められ、FRスポーツの代表格として君臨したS15

デートカーとして人気を博し、ホンダ・プレリュードとの人気争いも話題になったS13型(1988年登場)。その後を受けて1993年に登場したS14型は、メカまわりはS13を継承しつつも、快適性向上のためややボディが大きくなったことから、人気は芳しくはなかった。そのため、S15型(1999年)は再びダウンサイズして登場。低くスラントしたボンネットフード、シャープなボディライン、ストラット/マルチリンクのサスペンションは明らかに「走り屋」層からの支持を意識したものだった。2L直4DOHCターボのSR20DETはチューニングベースとしても好評。走って楽しいFRスポーツとしてヒットした。

シルビアの兄弟分は 車名と中身が違う!? 日産180SX

180SX

リトラクタブルライトや3ドアハッチバックは1990年代スポーツの王道。北米仕様は2.4Lなので240SXとなる

S13型シルビアの兄弟車といえば180SX(1989年登場)。ベースはシルビアの海外仕様である240SXのファストバックで、それを日本仕様に仕立て直して誕生した。その名のとおり、搭載されていたエンジンはS13型の初期に積まれていた1.8LのCAエンジンで、すでに設計年次も古く人気も今ひとつ。そこでエンジンを2Lへと換装し、デザインもテコ入れしたところ、人気が出たという紆余曲折があったスポーツカーだ。シルビアがS14型にスイッチしたあとも販売され、貴重な5ナンバーFRターボとして君臨した。フロントフェイスをシルビアにした「シルエイティ」は漫画『頭文字D』にも登場。逆の「ワンビア」も人気だった。

丸みを帯びたデザインに変更…直6搭載のロングノーズスタイル

トヨタ・スープラ

トヨタ・スープラ(1993)

角張った先代から一転して丸みを帯びたデザインは1990年代を感じるものだった80スープラ。リアの大型のスポイラーも話題となった

セリカXXから進化した3代目。そして1993年に登場した4代目スープラは型式「A80」から「ハチマルスープラ」の愛称で親しまれている。3Lツインターボエンジン、ゲトラグ社製6速MT、電子制御式サブスロットルシステム「ETCS」を搭載。0-100km/h加速は4.6秒と言われたが、最高出力280psはチューニング次第で500ps以上も可能とされ、今も世界中のマニアから圧倒的な支持を受ける存在となっている。アクティブスポイラーや大型リアスポイラーなどの派手なエアロパーツも魅力で、高い動力性能とともに高い運動性能を発揮した。

1990年代末、ついに280psを達成…ロータリースポーツの真骨頂

マツダ・RX-7

アンフィニ・RX-7(1991)

マツダが長きにわたって熟成を重ねたロータリースポーツの完成形と言える。抑揚の効いたデザインもマツダらしい

最後のRX-7として今なお人気の高い3代目FD型(1991年登場)。それまでの「サバンナ」の呼称が外され、当時マツダが進めていたディーラー多チャンネル化のひとつ、「アンフィニ」ブランドで登場。1996年にはマツダ RX-7に再度変更された。運動性能を高めるためショートホイールベースにワイド&ローのモノコックを採用し、エンジンをフロント中央寄りに搭載した。シーケンシャルツインターボ13B-REW型ロータリーエンジンは1999年のマイナーチェンジでついに当時の自主規制値いっぱいの280psに到達した。その後も進化を続けたが、2002年8月に惜しまれながら生産を終了、ロータリーターボはこのモデルで最後となった。

日本初! 目指したのは究極…ホンダイズム全開のスーパーカー

ホンダ・NSX

ホンダ・NSX(1990)

オールアルミのボディは世界中の自動車メーカーが衝撃を受けたと言われる。史上初のタイプRなど、派生グレードも多い

バブル時代を象徴する一台。F1で世界を席巻していたホンダが、その技術力の高さを世界にアピールした1990年デビューのスーパーカー。世界初となるオールアルミ製モノコックボディの生産工程はほとんどが手作業で行われたため、生産台数が限られることも人気に拍車をかけた。気持ちよく吹き上がる3L V型6気筒自然吸気エンジンをミッドに搭載、4輪ダブルウィッシュボーンサスのセッティングにアイルトン・セナが関わったことも話題となった。室内は予想以上に広く快適で、運転しやすいのも特徴だった。97年に排気量が3.2L(MTのみ)になるなど改良されたりしながら2005年まで生産された長寿モデルでもある。

ワイド&ローへとスタイルを変えてもアメリカでの人気は不動

日産フェアレディZ

フェアレディZ(1998)

前型Z31型までは伝統的にロングノーズ&ショートデッキを採用してきたが、このZ32型は全長を短く、全幅を広く、全高は低くなり、ワイド&ローを強調した迫力のスタイルとなった

バブル景気に沸いていた1989年、ワイド&ローを強調したスタイルで登場したZ32型。そのデザインやコンセプトは、スポーツカーやGTカーという範疇を超え、スーパーカーに近づいたと言われた。エンジンはVG30DE型とツインターボのVG30DETT型の2種類をラインナップ。後者は280ps規制のきっかけにもなった。北米市場でも大ヒット、もはやプアマンズ・ポルシェではなかった。電子制御式4輪操舵システム「Super HICAS」が装備され、ボディサイズは大きくなったが、俊敏な走りを見せた。

幻のZ33!? 新たなるZを模索…世界で1台だけの試作車

フェアレディ ミドルスポーツ(フェアレディZ Z33先行検討車)

直4を搭載するだけに、Zのアイデンティティであるロングノーズではない点に注目だ。神奈川県座間市にある日産ヘリテージコレクションで見ることができる

1990年代にはすでにコンピュータが開発の現場には導入されていたが、性能は低く、実験をしたり、試作車を作っての検証が行われていた。Z32型フェアレディはまだ現役だったが、次なるZ33型を模索するべく、S14型シルビアの左ハンドルモデルをベースに試作車が作られた。コンパクトなボディに、2.4L直4をフロントミッドに搭載しているのが特徴で、その後に市販されたZ33型とは別物だ。北米でフェアレディZの父と呼ばれたミスターZの片山豊氏も試乗して気に入ったといい、現車はレストアされ、現在も大切に保管されている。

ツインターボ&フルタイム4WD…三菱らしさあふれるGTスポーツ

三菱GTO

ミツビシ・GTO(1998)

アメリカ市場を主なターゲットとしていたことから、3L V6エンジンを搭載するなど、日本車としては規格外のサイズだった

GTカーの風格を漂わせる、1990年登場の三菱のフラッグシップクーペ。フロントに搭載される3L V型6気筒ツインターボエンジンは最高出力280psを発揮、前後重量配分45:55に設定されたフルタイム4WDを搭載していた。車両重量は1.7トンに達するが、最高速は254km/h、0-400m加速が13.9秒という豪快な走りが魅力だった。前期型はゲトラグ製5速マニュアルトランスミッションや4ポットブレーキキャリパー、角度可変式のアクティブ・エアロ・システム、アクティブエグゾーストシステムなど、その仕様はバブルの申し子的であり華やかだった。

ライバルたちを驚愕させた…リッター100psオーバー

ホンダ・インテグラタイプR

ホンダ・インテグラタイプR(1995)

ボディは3ドアクーペと4ドアセダンが用意されていた。熟練工の手が入った赤ヘッドのエンジンは憧れだった

NSXに続くタイプR第2弾となるFFスポーツモデル(1995年登場)。職人が手作業でポート研磨を行った1.8L 直4自然吸気エンジンを搭載。可変バルブタイミングリフト機構のVTECを採用し、自然給気で1Lあたり111psという圧倒的なスペックを実現した。サスペンションはホンダらしく4輪ダブルウィッシュボーンで、ヘリカルLSDも備えていた。また、インテリアには直径350mmのMOMO社製革巻きステアリング、レカロ社製バケットシート、チタンのシフトノブが採用されていた。1998年に大規模なマイナーチェンジが行われ、98スペックと呼ばれた。

人馬一体は世界の共通言語…復活したライトウエイト2シーター

マツダ・ロードスター

マツダ・ロードスター(NB)(1998)

車重の増加を最小限に抑える努力がなされるなど、初代のコンセプトを引き継いだ2代目。安全性の問題などで、リトラクタブルヘッドライトは廃止

ユーノス・ロードスター(NA)(1995)

ブリティッシュライトウエイトの文法そのままで登場したのが世界的ヒットの理由。ボディカラーや内装色なども含めて多くの特別仕様車が登場した

消滅しかけていたライトウェイト2シーターを復活させ、世界中の自動車メーカーを驚かせた初代が登場したのが1989年のこと。絶対的なパワーよりもハンドリングなどを重視し、人馬一体を掲げたのがヒットの秘密だ。リトラクタブルヘッドライトなども懐かしい。エンジンはファミリアのものを流用し、当初は1.6Lで、93年に1.8Lに拡大されるなど、98年に2代目にスイッチするまで、着実な進化を続けた。「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」として現在もギネス記録を更新し続けている。

WRCで戦うために続けた進化…三菱らしさあふれるハイテク4WD

三菱ランサーエボリューション

ミツビシ・ランサーエボリューションⅤ(1998)

写真はランサーエボリューションⅤ。ラリーでの戦闘力向上を目的として、ブレンボ製ブレーキを新たに採用。またボディ自体もワイド化されている

WRC(世界ラリー選手権)参戦のためのホモロゲーションを取得するために、ランサーをベースに開発されたのがランサーエボリューション。ギャランVR-4のパワートレーンを使って1992年にIが登場した。その後、毎年のように進化を続け、エボリューションIVでは左右駆動力移動システムAYCを搭載。これはリアの駆動力を左右別々にコントロールし、アウト側のタイヤにより多くの駆動力を配分することで旋回力を発生させ、積極的にクルマの向きを変える機能で、WRCでも大活躍した。1990年代では1999年に登場したVI「トミー・マキネン エディション」 が最後となる。

レガシィの弟分としてラリーで活躍 …スペシャルモデルも続々登場

スバル・インプレッサ

インプレッサWRX STi VERSION Ⅴ(1998)

エアロやホイール、そして各部にあしらわれたSTiのロゴなど、別格の存在だったSTi。競技ベースのタイプRAもあった

レガシィの弟分として1992年に登場したインプレッサ。4ドアセダンに加えて、スポーツワゴンと呼んだ5ドアハッチバックも用意された。WRC参戦のベース車としてインプレッサが選ばれ、レガシィRS譲りの2Lターボを搭載したWRXが登場した。スバル自慢のAWDとの組み合わせだけでなく、サスペンションも強化され、スポーツカーファンから大きな支持を受けた。年次改良を受けながら2000年まで販売が続けられ、WRXをベースにさらにポテンシャルを高めたSTiバージョンなどのスペシャルモデルも登場した。

レース&ラリーはリアルな実験場! 世界で暴れまくった日の丸スポーツ

インプレッサWRCデビュー(1997)

マニュファクチャラーズ ・チャンプ、スバルは1997年から新たな規定であるWRカーで参戦。ベース車両も4ドアから2ドア(日本仕様リトナ)へと変更となった

1990年代はレースやラリーも盛んだった時代だ。全日本ツーリングカー選手権のグループAではR32型スカイラインGT-Rが暴れまくり、市販車ベースの箱車(セダン)レースではJTCCが人気で、その激しいレース展開から喧嘩レースとも呼ばれた。そのほか現在のスーパーGTの前身である全日本GT選手権も市販車ベースのレースとして人気を博した。またR33型スカイラインGT-Rは市販車ベースのGTとしてル・マン24時間にも参戦している。一方、ラリーではWRCでの日本車の活躍が目覚ましく、なかでもグループAでのターボ&フルタイム4WDを武器にしたインプレッサとランエボの真っ向対決は世界中を沸かせた。スバルは1995年からマニュファクチャラーズ3連覇という快挙を達成した。

改めて1990年代を振り返ると、多くのスポーツカーが登場し、今では名車となっているクルマばかり。1990年代スポーツ、ネオヒストリックとして世界中で人気なのもうなずけるというものだ。そこそこのパワーで、軽量かつコンパクト、そして手の届きやすい価格のスポーツカーの再来を願うばかりである。

近藤暁史

こんどう・あきふみ 学習院大学・文学部国文学科卒。ファッション誌から転身して、自動車専門誌の編集部へ。1990年代をリアル体感。独立後は国内外の各媒体で編集・執筆、撮影、動画制作などを手掛ける。新車、雑ネタを中心に、タイヤが付いているものならなんでも守備範囲。AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員。


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