文=段 純恵/写真=トヨタ、プジョー、富士スピードウェイ

3年ぶりのWEC富士で「強いトヨタ」が帰ってくる!

シリーズ4連覇へ!

長時間にわたってレースを行い、速さだけでなく、その名の通りマシンの耐久性も競う耐久レース。その最高峰が「世界耐久選手権(WEC)」だ。最低でも6時間、長いレースでは24時間も走り続ける過酷なレースが、3年ぶりにWEC富士として日本に帰ってくる。6時間で行われるWEC富士は、最上位カテゴリーでの4連覇を狙うトヨタや、ツーリングカーカテゴリーでの覇権を争うポルシェvsフェラーリなど、見所がたくさん。WECをはじめさまざまな世界選手権を取材している段純恵さんに、WECの歴史や注目ポイントを紹介してもらった。

2022年のWECカテゴリーリスト

LMH 市販車ではないプロトタイプカーによる最上位カテゴリー。メーカーによるワークスチームが主体。
LMP2 プロトタイプカーによる下位カテゴリー。メーカーから車体を購入して出場するプライベーターが主体。
LMGTE Pro 市販スポーツカーを改造し出場。プロドライバーが主体。
LMGTE Am 市販スポーツカーを改造し出場。アマチュアドライバーが主体。

トヨタvsプジョー
新時代の幕開けとなるメーカー対決に注目!

3年ぶりに富士スピードウェイで開催されるFIA世界耐久選手権(WEC)の一番の見所は、やはり2021年にLMP(ル・マン・プロト)1クラスに代わって新設された最上位カテゴリー、LMH(ル・マン・ハイパーカー)クラスにおける、トヨタとプジョーの自動車メーカー対決だろう。

ル・マン24時間レースが初開催された1923年以来、スポーツカー耐久レースは名称や車両規定を何度も変更しながら歴史を刻んできた。今年90回を数えたル・マン24時間レースを核に置くシリーズには世界の名だたる自動車メーカーやマニュファクチャラーが挑戦。度重なる規則の変更や経済危機の影響で参加台数が減少し、1992年を最後に世界選手権から外れたものの、ル・マンを主催するACO(フランス西部自動車クラブ)を中心にエントラント(参戦チーム)が結束し、根強い耐久ファンの支持のもと欧州や北米でシリーズ戦は継続された。

そして2012年。世界戦として20年ぶりに復活したWECは、最上位のLMP1クラスにエネルギー回生システムを搭載するハイブリッド規定を導入。アウディ、トヨタ、15年からはポルシェも加わり、それぞれの技術力とプライドを賭けた闘いを展開した。ところが、コストの高騰やフォルクスワーゲングループのディーゼル不正問題により、アウディが2016年限りでWECから撤退。2017年にはポルシェもLMP1クラスから離脱し、トヨタも後を追うのではないかという憶測が流れた。

だが『ハイブリッドの雄』として業界を牽引(けんいん)してきたトヨタは、自社の高度なハイブリッド・システムとそれを搭載したレーシングマシンで、耐久レースの頂点とハイブリッド技術のさらなる向上を目指す道を選んだ。1982年に国産初のグループC(純レーシングマシンのプロトタイプカーによる、排気量無制限、使用燃料量は制限があるカテゴリー)カー『セリカC』を世に出したときから、トヨタにとって耐久レースは単にスピードを追うだけでなく、時代が求める技術を世に問い、それを磨く場だった。低燃費高効率のターボエンジンを搭載した『85C/トヨタ』でル・マンに初挑戦。トヨタのグループCカーとして自然吸気エンジンを初めて採用し、エアロダイナミクスにも力を入れた車体で速さと耐久性の両立を図った『TS010』は、トヨタ最後のグループCカーとしてWECの前身であるスポーツカー世界選手権で優勝を遂げている。

新生WECでは、トヨタはTSシリーズのマシンを次々と耐久の現場に送り込み、レースを通じてハイブリッドの技術を研鑽(けんさん)。ライバルメーカ-が不在になった後は、チームの2台が年間王座を争うという、ある意味もっとも厳しい環境での闘いでチーム力をさらに高めたトヨタは、2018年に悲願のル・マン初優勝を達成し、2021年に最上位クラスがLMHに移行した後もWECで一強体制を貫いてきた。

そんな孤高の王者・トヨタの前に現れたのが、7月のモンツァ戦で11年ぶりに耐久レースの最上位クラスに復帰したプジョーだ。

ウイングレスハイパーカープジョー9X8の写真

世界が注目するウイングのないレーシングカー

「レーシングカーにおいてリアウイングはあって当たり前」という業界の常識を覆す型破りなスタイリングで世間をアッといわせたウイングレスハイパーカー『プジョー9X8』だが、その開発は難航し、当初の予定から4か月遅れでようやくデビュー。実戦2戦目の今回、約1.5㎞の長いストレートや特徴的なコーナーが点在する富士スピードウェイでどのような走りを見せるのか、ライバルチームならずとも大いに気になるところだ。

一方、プジョーを迎え撃つトヨタや他のハイパーカークラス先行チームも決して楽な闘いにはならないだろう。というのも、ハイパーカークラスでは移行期間の特例措置として、性能の異なる現行のLMHマシンと旧LMP1マシンが混走しており、マシン間の戦力不均衡をなくすために性能調整がレースごとに図られているからだ。開幕戦勝者のアルピーヌ(LMP1)、2度目の挑戦となった2022年のル・マンで初表彰台に上がったグリッケンハウス(LMH/資金面を理由にWEC富士には欠場を表明)も調整から逃れられないが、もっとも厳しい調整を受けるのが王者トヨタであることは言うまでもない。性能調整という名の厳しい足枷(あしかせ)により、ハイパーカー『GR010』は本来のパフォーマンスをいまだ発揮できず、開幕以来苦しい闘いを強いられている。それでもトヨタは、今季からドライバー兼チームプリンシパルに就任した小林可夢偉代表のもと、知識と分析力と経験を駆使し、ル・マン5連覇後の3年ぶりの母国戦を勝利で飾るべく、チーム一丸となって富士戦に挑む。

2022年ル・マン表彰台の様子

ル・マン5連覇をワンツーフィニッシュで成し遂げたトヨタ

ハイパーカークラスの移行措置は今季限りで撤廃され、来季からは新たに導入されるLMDh(ル・マン・デイトナ・h)規定のマシンとLMHのマシンが、最上位クラスでともに鎬(しのぎ)を削ることになる。市販シャシーに共通のハイブリッド・システムと独自エンジンを搭載するLMDhには、再び最上位クラスに挑むポルシェを筆頭にキャデラックやランボルギーニが参戦を計画。またトヨタ、プジョーに続き2023年からはモータースポーツの代名詞のフェラーリが、LMHでの参戦に名乗りを上げている。

いま再び興隆期を迎えようとしている世界耐久選手権。その新たな闘いの序章が9月の富士スピードウェイで幕を開ける。

モータースポーツの真髄を楽しむなら
LMGTEクラスも目が離せない!

イタリア・モンツァサーキットのレースの様子

イタリア・モンツァサーキットで走るDステーションのマシン

WECで自動車メーカー対決が見られるのは、現在のハイパーカーやかつてのLMP1クラスだけではない。これら最上位クラスを上回る参加台数を誇り、メーカー直属のファクトリー(ワークス)チームやメーカーから支援を受けるプライベートチーム同士が、毎戦火花散る激戦を展開しているのが、市販スポーツカーをベースにした車両で戦う「ル・マン耐久グランドツーリングカー」、略してLMGTEクラスだ。

LMGTEクラスは、プロドライバーを揃えたチームが競うLMGTE Proと、アマチュアドライバー中心で構成されたチームによるLMGTE Amの2クラスに分かれており、それぞれで選手権を争っている。プロ・アマに分かれているとはいえ、アマクラスのチームでは元F1ドライバーのジャンカルロ・フィジケラや2019年全日本スーパーフォーミュラ選手権王者のニック・キャシディ、2021年のIMSA王者ハリー・チックネルが走っているのだから、プロと比べてレベルが低いわけではない。

参加車両もこれぞスポーツカー! というキラ星のごときマシンばかり。今季はポルシェ911RSR-19、フェラーリ488GTE Evo、シボレー・コルベットC8.R、アストンマーティン・ヴァンテージAMRというラインナップだが、数年前まではフォード・GTやダッジのバイパーGTS-Rも参戦しており、LMGTEクラスの闘いはさながら『欧米スポーツカー世界タイトルマッチ』の様相を呈していた。

そのバトルの激しさ、手に汗握る競り合いの長さは観る人のハートを鷲(わし)づかみにし、ともすればレース中継のテレビカメラもハイパーカーそっちのけでLMGTEクラスの闘いを追いかけるほど。今季はLMGTE Proクラス最終年度ということもあり(2024年からはGT3マシンを用いた新しいGTカテゴリーが創設される)、来季からル・マンハイパーカークラスへ転属するポルシェとフェラーリが、『最後のLMGTE王者』の座とメーカーの威信をかけて、ワークスチームのみならずそれぞれのプライベートチームをも巻き込んでの総力戦を展開している。

そんなモータースポーツの真髄あふれるLMGTEクラスには3人の日本人ドライバー、木村武史(ケッセル・レーシング)、星野敏と藤井誠暢(Dステーション)が、フェラーリとアストンマーティン・ヴァンテージを駆ってシリーズ参戦、チームの仲間とともに熱い闘いで母国戦を盛り上げる。

世界を巻き込んだ40年前のWEC富士

初開催のWEC in JAPANの様子

初開催のWEC in JAPANを制したジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス組のマシン(左)

FIA世界耐久選手権(WEC)の第5戦富士大会が3年ぶりに開催されることは前述したとおりだが、実は初開催は40年前の1982年。当時の世界耐久選手権の日本大会として、その後7年にわたり開催された『WEC in JAPAN』だ。

前年、名称を変更したばかりの世界耐久選手権(1986年からは世界スポーツプロトタイプカー選手権)に、FIAはこの年からグループC規定を導入。この変革が当時モータースポーツ活動を渋っていた自動車メーカーを刺激したことで、参加車種、台数がともに増加し、WECの人気はいっきに高まった。

欧州での耐久レースの盛り上がりを受けて企画されたWEC in JAPANも、WECシリーズの一戦というだけでなく、耐久レースの世界対抗戦的な位置づけも加わったことで、参加車両はクラス、グループとも多種多様に拡大。最新のグループCマシンでWEC王座を狙うポルシェ956と、その宿敵で旧カテゴリーのグループ5(市販車をベースにレース用に大幅な改造が許可された、いわゆるシルエットフォーミュラ)マシン、ランチアLC1やロンドーM382Cが並び、その隣には米国の耐久レースシリーズIMSAからやってきたマスタングやフェラーリ512BB、フェアレディ280ZXなど、GTOやGTXマシンがズラリと勢揃いした。

迎える日本勢も、国産初のグループCマシンで翌年のル・マン出場を狙うトムス童夢・セリカCの他に、マツダ・サバンナRX7やニッサンのフェアレディZ、ホンダ・シビックSB1など多数の市販改造車が、初めて経験する国際レースに挑戦した。

全38台が出走した6時間の決勝レースは、その年のル・マン24時間王者、ジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス組のポルシェ956が、リカルド・パトレーゼ/テオ・ファビ組のランチアLC1に2周差をつける260周を走りきって優勝。日本勢ではトヨタエンジンを搭載する中村正和/見崎清志組のマーチ75Sが総合3位に入り、国産初グループCカーのトムス童夢・セリカCは、ギアトラブルを抱えながらも5位入賞を果たした。大成功に終わったWEC in JAPANは、トヨタ、マツダ、ニッサンの3メーカーが耐久レース活動を本格化させるきっかけとなり1988年まで継続。耐久レースの人気を牽引する役割を果たした。

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