モータースポーツコラム

モータースポーツで活躍した日本車列伝

メイド・イン・ジャパンの伝説

2022.06.14

文=原田 了

2022.06.14

文=原田 了

世界のライバルと渡り合い、日本中を沸かせた国産の名車たち。その、記録にも記憶にも残る活躍を、モータージャーナリストの原田了さんによるセレクト・解説で振り返ります。

  • 本記事はJAF Mate2021年2・3月合併号の記事を加筆・再編集してお届けします。

日産・スカイライン

全日本ツーリングカー選手権で29連勝の不敗神話を打ち立てる

日産・スカイラインの写真

モータースポーツで伝説を紡いできたクルマというとまず思い浮かぶのが、日産スカイラインGT-R。オールドファンには初代(スカイラインとしては3代目。PGC10/KPGC10型)の“ハコスカ”の印象も強いかもしれないが、3代目(スカイラインとしては8代目。BNR32型)の存在感はそれ以上だ。

当時のツーリングカーレースは国際自動車連盟(FIA)のグループA(Gr.A)カテゴリーで争われていたが、GT-Rはその車両規則を徹底的に分析。たとえば、2,568ccという一見中途半端なエンジン排気量も、ターボ装着することでレギュレーション上の排気量は1.7倍の約4.4Lとなり、4,500cc以下のクラスに編入されることを見越して決定されるなど、“Gr.Aレースで勝てるクルマ”として開発された。実際にスパ24時間レースなどでも総合優勝を飾り、全日本ツーリングカー選手権(JTC)では負けなしで29連勝の不敗神話を残している。JTC終了後にはGT-Rの活躍の場を残すために全日本GT選手権が誕生するなど、レースとは切っても切り離せない関係にあった。

星野一義選手の写真

スカイラインGT-Rで記憶に残るシーンといえば、“日本一速い男”と呼ばれた星野一義選手の過激な走り。JTCの29勝の半数を超える15勝をマーク。速さとともに勝負強さも見せつけることになった。

トヨタ・セリカ

国産車として初めてWRCのドライバーチャンピオンを輩出

トヨタ・セリカの写真

国産初のスペシャリティカーとして1970年に登場したセリカは、エンジンや内外装を自由に選んで組み合わせることのできる“フルチョイスシステム”が話題を呼んで大ヒットモデルとなった。

初代モデルからモータースポーツに参加してきたが、特にラリーでの活躍が目覚ましく、後輪駆動の3代目まででも世界ラリー選手権(WRC)で勝利を飾っているが、前輪駆動にコンバートされた4代目では、4輪駆動(4WD)のGT-FOURが追加設定され、映画『私をスキーに連れてって』の劇中車として大きな話題となった。

またこのGT-FOURをベースにGr.A仕様の競技車両を製作。当時からターボ・エンジン+4WDが勝利には必須となっていたWRCにフル参戦を始めると、絶対的な王者として君臨していたランチアの牙城に切り込んでいき、1990年シーズンには国産車として初となるWRCドライバーズ・タイトルを勝ち取るなど、現在もWRCで活躍するトヨタの基礎を築いた。

カルロス・サインツの写真

1989年にトヨタ・ワークスと契約したカルロス・サインツは、セリカの熟成を進め、翌1990年には高いポテンシャルを引き出すとともに自身の才能も開花させ、4勝を挙げて王座に就いた。

三菱・パジェロ

“パリダカ”の7連覇で砂漠の王者に

三菱・パジェロの写真

1980年代後半から、国内ではRV*ブームが巻き起こったが、そのけん引役の一台となったのが三菱パジェロ。その源流は4輪駆動車の代名詞となっていた三菱ジープで、まさに4輪駆動車の王道を歩むために生まれた一台だった。

国内でのRVブームを追い風に、砂漠の道なき道を舞台に戦われるダカール・ラリー(通称“パリダカ”)に黎明(れいめい)期から参戦。市販車に近い車両で初出場した1983年にいきなり市販車無改造T1クラス優勝を飾ると、1985年にはプロトT3クラスにステップアップ。より高度なチューニングを施した車両で出場し、見事総合優勝を果たしている。

1991年に登場した2代目モデルは翌1992年に総合優勝を飾ると、97年には篠塚建次郎選手が日本人として初めて総合優勝を成し遂げる。さらに1998年に登場した3代目モデルは、2001年から破竹の勢いで7連覇という偉業を達成。2009年を限りに参戦を休止するまでの27年間で、7連覇を含む12回の総合優勝を飾り、砂漠の王者として君臨した。

  • RV……「レクリエーショナル・ビークル(Recreational Vehicle)」の略称。レジャーや趣味などのレクリエーションのためにつくられた車のことを指す。

アンドリュー・コーワンの写真

市販開始の翌年に初めて“パリダカ”に参戦したパジェロ。ラリードライバーとして活躍したアンドリュー・コーワンが、チューニング範囲の限られた市販車無改造部門で優勝を飾った。

SUBARU・インプレッサ

国産車として初めてWRCを3連覇

SUBARU・インプレッサの写真

レオーネの後継モデル、レガシィが2Lクラスに移行したのを受け、1.6Lクラスのコンパクトカーとして開発されたモデルがインプレッサ。

モータースポーツという面では、SUBARU(当時は富士重工業)が得意としていたラリーにおける、レガシィの次期主力マシンとして開発が続けられた。ラリーカーとして完成した後も、兄貴分たるレガシィが1993年のニュージーランド・ラリーで初優勝を飾るのを待ち、次戦の1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)でデビューしている。

ボクサーターボ・エンジンや4WDの駆動系など、レガシィの主要コンポーネントをひとまわりコンパクトで軽量なボディに移植したインプレッサは、デビュー戦となった1000湖ラリーでいきなり2位入賞を果たす。そして1994年に3勝を挙げて、トヨタに続くメイクスタイトルシリーズ2位を奪うと、翌1995年には5勝を挙げて王座に就き、ドライバーであるコリン・マクレーもドライバーズチャンピオンとなってダブルタイトルを獲得。以後1997年までメイクスタイトルを3連覇した。

コリン・マクレーの写真

1991年にスバルに加入したコリン・マクレーは、1995年にインプレッサで2勝。チームメイトのカルロス・サインツと激闘の末、王座に就いた。

マツダ・ファミリア

WRCのGr.A初年度に優勝

マツダ・ファミリアの写真

マツダ初の小型乗用車として1963年に登場したファミリア。ロータリーエンジン(RE)を搭載した2代目のファミリア・ロータリークーペが国内外のレースで活躍したが、それ以降はRE搭載モデルもラインアップされず、レースにも登場していなかった。

しかしデビュー当初は一般的だったFR(フロントエンジン・リア駆動)から、時代の流れに合わせて1980年に登場した5代目で前輪駆動へとコンバートすると、その次世代、1985年に登場した6代目では1.6Lツインカムターボエンジンを搭載し、日本初のフルタイム4WDシステムを組み込んだGT-Xモデルが登場した。

一方、高速化が過ぎてアクシデントが続出したことからWRCでは高性能なGr.Bが1986年限りで廃止され、1987年からは、より市販車に近いGr.Aで戦われることになる。このタイミングの符合もあり、ファミリアGT-Xは1987年からGr.A初年度のWRCに参戦を開始。デビュー2戦目となるスウェディッシュ・ラリーで、エースのティモ・サロネンが、初優勝を飾った。

ティモ・サロネンの写真

1985年のWRCチャンピオンに輝いたティモ・サロネンは、Gr.A初年度にマツダに移籍。シリーズ第2戦のスウェディッシュ・ラリーで優勝を飾っている。彼自身にとっては11回目でキャリア最後の優勝だったが、マツダにとってはうれしい初優勝だった。

ホンダ・シビック

小よく大を制した最強最速の“テンロク”

ホンダ・シビックの写真

ホンダ・シビックは1972年に登場したホンダのコンパクトカーで、初代モデルから前輪駆動を継続。近年はサイズアップしているが、当初はコンパクトなハッチバックがメインだった。

歴代モデルがモータースポーツに参戦し続け、ホンダのDNAを実践してきたモデル。特に1.6L直4ツインカムがラインアップに追加された、3代目のAT型から4代目のEF型、そして5代目のEG型までの三世代のSi/SiRグレードは、Gr.Aによる全日本ツーリングカー選手権の1,600㏄以下、通称“テンロク”クラスを7連覇した、最速にして最強モデルとして知られている。

クラス優勝回数でみてもシビックは36回でGT-Rの29回を上回り、総合優勝1回、総合のポールポジションも2回獲得している。しかも参戦初年度の鈴鹿では、中嶋悟・中子修組が、排気量が倍以上のBMWなどに先んじてポールポジションを奪い、決勝レースでも総合優勝を飾っている。「小よく大を制す」、を地でいく最速最強の一台だった。

中子修の写真

Gr.Aによる全日本ツーリングカー選手権において、1,600cc以下の車両で争われるDiv.3では、チーム無限の中子修(写真)・岡田秀樹組が背負った#16は圧倒的な“チャンピオンナンバー”。1985年のデビュー以降、全参加者が「打倒無限」を合言葉に挑戦を続けた。

ダイハツ・シャレード

排気量を縮小して誕生したGr.Bの本気

ダイハツ・シャレードの写真

トヨタの傘下となったダイハツが、開発期間も含めてコンパーノ以来約10年ぶりに自主開発した小型乗用車がシャレード。全長×全幅が約5平方メートルということで“5平米カー”が開発コンセプト。直列3気筒で排気量993ccのエンジンを搭載していることから“リッターカー”という言葉も生まれている。

モータースポーツでは初代モデルからサファリラリーに参戦。初参戦でもクラス優勝を果たすなど健闘していた。1984年には2代目のシャレード・ターボで参戦したが、その際にはターボ係数(当時は1.4)を掛けて1,390ccとされ1,301~1,600㏄クラスでの出走となった。そこで1,300㏄以下に収まるよう排気量を926㏄に引き下げたGr.Bベースとして、シャレード926ターボが誕生した。

Gr.Aから派生したGr.Bとして公認され、1985年のサファリラリーではDATSUN1200(サニー)と同クラス。トラブルフリーで走り切り、Gr.Aのシャレードに次ぐ13位で完走。B5クラスで優勝を飾ることになった。

思い出されるのは…

1985年に平林武組が1LターボでA2クラス優勝、926のA.パティニ組がB5クラス優勝。これで地元アフリカのチームにもシャレードの台数が増えていった。上の写真の#26は1986年のA.アンワー組のノンターボで、総合16位で完走、A5クラス優勝を果たしている。

スズキ・エスクード・ヒルクライムスペシャル

エスクードの皮を被ったスペシャルマシン

スズキ・エスクード・ヒルクライムスペシャルの写真

スズキの4輪駆動車(4WD)と言えば軽自動車ながら本格的なクロカン4駆(クロスカントリー4輪駆動)のジムニーが有名だが、そのジムニーでノウハウを蓄積してきたスズキから1988年に登場した4WDモデルがエスクード。“乗用車的な乗り心地を持ちながら、どんな場所でも走破する”を開発コンセプトとし、オンロード4WDの性能を重視したのが大きな特徴だった。

そのエスクードの市販モデルとはメカニズム的にはまったく関連のない、競技用のワンオフスペシャルがエスクード・ヒルクライムスペシャル、通称“ツインエンジン・エスクード”。ツインターボでチューニングしたエスクード用V6エンジンを2基、パイプフレームのフロントとミッドに搭載し、エスクードを模したカウルを被せたワンオフのモンスターマシン。

エンジン2基合計の最高出力は900psで、車両重量はわずかに900kgだったから、そのパフォーマンスはF1マシンに匹敵するものがあった。1994年から参戦を開始し、翌1995年には田嶋伸博選手が総合優勝を飾っている。

田嶋伸博の写真

80年代にダートトライアルで頭角を現してきた田嶋伸博は、自らクルマを製作するスキルも持ち合わせていた。スズキのサポートを受けてパイクスピーク・ヒルクライムに挑戦を始め、2年目の1995年には、見事総合優勝を飾っている。

今シーズン、観戦するならスーパー耐久がおすすめ!

スーパー耐久の写真

コロナ禍の影響でしばらくはモータースポーツ観戦どころではなかったが、2022年より感染防止の行動制限が緩和されたことから、再びレース観戦に行こうと思っているファンも多いと聞いている。

そんなファンにおすすめのレースカテゴリーと言ったらスーパー耐久シリーズ(S耐)だろう。

スーパーフォーミュラは完全なレーシングマシンによるレースだし、SUPER GTもGRスープラやフェアレディZ、あるいはNSXといったスーパースポーツの争いで、あまり日常性がないのは事実。それに比べてS耐は、デミオやヤリスなど身近なクルマも含めて、すべて街中で見かける市販車によるレースなので、もしかすると自分で運転しているクルマが戦っているシーンを目撃することもできるかもしれない。

さらに2021年から、トヨタやSUBARU、マツダなどのメーカーがカーボンニュートラルを目指す研究開発の一環としてS耐に参戦するようになっていて、「レースは走る実験室」を実践している。レースファンならずとも、クルマファンなら必見だ。

スーパー耐久シリーズの開催スケジュール

7/9(土)、10(日) 第3戦 スポーツランドSUGO
7/30(土)、31(日) 第4戦 オートポリス
9/3(土)、4(日) 第5戦 モビリティリゾートもてぎ
10/15(土)、16(日) 第6戦 岡山国際サーキット
11/26(土)、27(日) 第7戦 鈴鹿サーキット

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  • 写真提供=三栄、トヨタ、ホシノレーシング、三菱自動車、スバル、マツダ、Honda、ダイハツ、タジマモーターコーポレーション、吉見幸夫

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