あの時“斬新”でも今は“名”装備 一般化された衝撃装備
国産車の“当時斬新過ぎた”装備&デザイン30選【後編】「国産車の“当時斬新過ぎた”装備&デザイン30選」の後編は、今や名装備となったエポックメイキングな車をはじめ、過激なスポーツモデルやマニアックな海外チューナーとのコラボ車をピックアップします。
今や必須の装備もデビュー当時は斬新だった
今では欠かせない定番装備や、メジャーではないが真新しくもない装備でも、その装備が搭載され始めた当時は斬新であり、まだまだ未成熟。最初はこんな感じだったのね、と驚くようなものもある。技術の進化を感じますね。
ホンダ・アコード/ビガー (1981年デビュー)
ナビの始まりは地図が手動だった
1981年 ホンダ・ビガー
1981年 ホンダ・エレクトロ・ジャイロケーター
ナビゲーションと言えば、今やスマホにオマケで付いてくる地図アプリでも十分過ぎるほどの精度となっているが、その黎明(れいめい)期は実にアナログな手法が用いられていた。それが、ホンダが2代目アコードの発売時にオプション装備として取り入れた世界初のカーナビ、「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケーター」だ。驚くべきは、現代のようにルートのフォローにGPS衛星を使うことなく(というか、当時は使用できなかった)、独自に開発したジャイロセンサーと距離センサーで移動方向と距離を検出していた点。検出された位置情報はディスプレイの地図に表示されるワケだが、この地図の縮尺が学校の地図帳並みに広く、対象地域を変える際には地図がプリントされたシートを「差し替える」という作業が必要だった。今、見ると007の秘密兵器風の佇まいは面白おかしくもあるが、世界初という技術を実用化させたホンダのチャレンジスピリットは間違いなく、称賛されてしかるべきだろう。
日産・プレーリー (1982年デビュー)
40年前にすでに存在した両側スライドドアのミニバン
1982年 日産・プレーリー
1982年 日産・プレーリー
今や小型車から軽自動車までクラスを問わず、ファミリーカーのスタンダードとして定着したミニバンスタイル。その国内におけるルーツとなったのが、日産・プレーリー。当時のリリースには「ミニバン」という言葉はどこにも見られず、多目的小型自動車(マルチパーパスカー)と呼ばれていた。乗用車並みに低いボンネットラインと背の高いキャビンを組み合わせたスタイルは独特だが、リアドアには当初からセンターピラーレスの両側スライドドアを採用。ライバルは当時のライトエースやバネットなど1BOXタイプのワゴンということで、回転対座をはじめ多彩なシートアレンジを可能としていた。
スズキ・アルト スライドスリムドア (1988年デビュー)
前席スライドドアのマニア過ぎる軽カー
1988年 スズキ・アルト スライドスリムドア
1988年 スズキ・アルト スライドスリムドア
47万円の低価格を武器に、1979年にデビューしたスズキ・アルトも、最新モデルで9代目を数える。その長い歴史の中でも屈指のスタイリッシュなデザインが採用されていたのが3代目モデル。同様に、屈指の異色グレードとして記憶されているのが左右にスライド式ドアを備えたスライドスリムドア。これは横方向のスペースが限られた場所での乗降性の高さを狙ったもので、スカートや着物でも楽に動作ができるように運転席が90度近く回転する機能も与えられていた(回転シートは2代目のアルト・ジュナにも装備)。女性への優しさに配慮した発想自体は良かったが、シートのスライド動作にはそれなりの力が必要で、89年に実施された軽自動車規格の変更(550cc→660cc、全長の延長)に伴うマイナーチェンジでは運転席側のみがスライド式となり、助手席側はヒンジ式のドアに改められた。
三菱・GTO (1990年デビュー)
スイッチひとつで排気音を静かに
1990年 三菱・GTO
1990年 三菱・GTO
スカイラインGT-RやNSX、MR2など、この時代は国産スポーツカーにとってまさに黄金期とも言える活況ぶりを見せていた。そんななか、三菱からデビューを果たしたのがGTO。ダックテールが特徴的だったギャランGTOとは特に関連性はなく、当時のリリースを見るとイタリア語で「グラン・ツーリスモ・オモロガート=GTカテゴリーのレースカーとして公認された車」という意味に由来しているとの説明が添えられていた。ベースとなったのは初代ディアマンテで、オーバーハングにV6エンジンが横置きれた光景はスーパースポーツモデルとしては少々異質なモノだった。それでもツインターボモデルの性能は素晴らしく、先述したライバル勢と互角以上の戦いを繰り広げた。また4WS(前輪に加えて後輪も左右に動く四輪操舵のこと)の他、時速80km以上でフロントスポイラーとリアウイングの角度が変わるアクティブエアロや、アクティブエキゾーストと名付けられた音量切り替え式のマフラーといったハイテク装備の数々も、このクルマの特徴だった。
日産・ブルーバード (1991年デビュー)
ノイズをスピーカーで消す新技術
1991年 日産・ブルーバード
1991年 日産・ブルーバード
サッシ付きドアのセダンと、ARX(アークス)と呼ばれたハードトップの2本立てで登場したのが9代目ブルーバード。栄光の「SSS」シリーズの名称が継承されるなど、当初はあくまでセダンが本命だったはずが、北米のNDI(ニッサンデザインインターナショナル)による尻下がりスタイルは芳しい評価が得られず、主役としての存在感は徐々にARXへと移っていった。そのARXのZグレードに採用されていた画期的な装備が、アクティブノイズコントロール。これは、天井部分に取り付けられた4つのマイクが走行中のこもり音を検知し、その逆位相音を出力することで騒音の低下を狙ったもの。正直、「ホンマかいな?」と、穿(うが)った見方もしたくなるが、近年同様の機能がジャガーやランドローバーにも採用されている光景を見ると、素直に日産の先見性を称(たた)えるべきなのかもしれない。
ダイハツ・ミラRV-4 (1992年デビュー)
軽クロスオーバーの先駆け
1992年 ダイハツ・ミラRV-4
1992年 ダイハツ・ミラRV-4
カワイイ!の声が聞こえてきそうな、わんぱく小僧風のスタイルが魅力だったミラRV-4。
これは92年8月に行われたダイハツの軽自動車、ミラのマイナーチェンジ時に追加されたグレード。ベースとなったのは12バルブターボエンジンを搭載したフルタイム4WDのTR-XX。フロントにはグリルガードとエンジンアンダーガードが取り付けられた専用バンパーを装着。さらにルーフレールや大型ドアミラー、背面タイヤ(!)も備えられた。またリアを5リンクとした4輪独立懸架サスペンションを持つ足元には70扁平の13インチタイヤを採用。現代では「◯◯クロス」、あるいは「クロス◯◯」といったネーミングが与えられたチョイアゲ車高のクロカン風モデルは珍しくないが、RV-4はファニーな外観の印象とは裏腹に、極めて本格的なスペックが秘められていた。
ホンダ・インサイト (1999年デビュー)
当時世界最高のリッター35kmを実現
1999年 ホンダ・インサイト
1999年 ホンダ・インサイト
どストレートに世界最高水準の燃費を達成することだけにターゲットを絞った、ある意味、動く実験室的なキャラクターが当時話題を呼んだインサイト。開発のテーマとされたのは「パワーユニットの高効率化」、「空力性能の追求」、「車体の軽量化」の3点。パワーユニットにはモーターアシスト機構を備えた1LリーンバーンVTECエンジンを搭載。ミッションは5速マニュアルと無段変速のホンダマルチマチックSを設定。どことなくライトウェイトスポーツの傑作、CR-Xの面影が漂う車体周りにはアルミや樹脂材が多用され、MT車の重量は820kgと軽自動車もビックリの軽さを実現。リアホイールを覆った独特のエアロフォルムによりCd値(空気抵抗係数)は0.25と、量産車世界最高レベルをマーク。
これらの努力により、EPA(米国環境保護庁)の燃費ランキングで3年連続1位を獲得。ちなみに1位はインサイトの5MT車、2位は同じくインサイトのCVT車で、元祖ハイブリッドのプリウスは3位だった(2002年モデル・EPA燃費ランキング)。
レースで勝つ・ストリートで目立つ
こんな車もハイパワーに
1990年~2000年代は、スポーツカーはもちろんのこと、ステーションワゴンやクロカン、軽自動車などあらゆるジャンルの車に、次元の違う“スポーツグレード”が存在していたように思う。そんなレアグレードは、今でもファンは多く、中古車市場でも高嶺の花となる車が多い。
日産・パルサー GTi-R (1990年デビュー)
WRC参戦に向けたホモロゲモデル
1990年 日産・パルサーGTi-R
1990年 日産・パルサーGTi-R
かつてはブルーバードやフェアレディZ、バイオレットなどをベースとした競技車両を武器に、世界ラリーで大活躍した日産。その栄光のステージを再び目指すべく、1990年に行われたパルサーのフルモデルチェンジ時に、最強グレードとして登場したのがGTi-R。巨大なパワーバルジとエアスクープが設けられたボンネットの中にはR32GT-Rにも用いられたナトリウム封入排気バルブや4連スロットル、クーリングチャンネル付きピストンなど230馬力のスペックを持つSR20DETエンジンを搭載。駆動方式も日産自慢のアテーサ4WDが用いられるなど、実戦出走前からファンは大盛り上がり! がしかし、グループAにおけるワークスでの最高位は、参戦開始翌年のスウェディッシュラリーの総合3位。ワークス活動自体も2年で終了という結果に。とはいえ、改造範囲が厳しく制限されるグループNでは年間タイトルを獲得するなど、秘められたポテンシャルは間違いなく一級で、日産のホンキ度が全身にあふれた異色のキャラクターは、生産終了から30年近くが経過した今でも多くのファンに愛され続けている。
日産・スカイライン オーテックバージョン (1992年デビュー)
名機RB26をNAで載せたマニアックな限定モデル
1992年 日産・スカイライン オーテックバージョン
1992年 日産・スカイライン オーテックバージョン
KPGC110(いわゆるケンメリR)以来、16年ぶりに栄光のRバッジを復活させ喝采を浴びたR32型GT-R。一方、「GT-Rと言えば、やっぱり4枚ドア(PGC10型)が元祖だろ!」という根強いファンは少なくなく、その声を具現化させるべくオーテックジャパンが製作したのがR32型の4ドアセダンをベースとしたオーテックバージョン。エンジンはGT-R用RB26DETTからターボチャージャーを取り外したNA仕様で(ある意味、これも初代GT-Rを意識した部分か?)、専用カムシャフトや専用の等長ステンレスエキゾーストマニホールド、専用ECUなどの採用により220馬力を発生。駆動方式もGT-R同様アテーサE-TS・4WDで、2本ルーバーのフロントグリルもまんまGT-Rという佇まいだったがミッションは意外にも、4速ATのみという設定だった。
日産・ステージア オーテックバージョン260RS (1997年デビュー)
ワゴンにGT-Rの名エンジンを搭載
1997年 日産・ステージア オーテックバージョン260RS
1997年の東京モーターショーに参考出品されたR33スカイライン4ドアベースのGT-R、「GT-Rオーテックバージョン40thアニバーサリー」(翌年1月発売)とほぼ同じタイミングで発売されたのが、ステーションワゴンのステージアをベースとした260RS。もちろん、こちらも心臓部にはGT-R譲りのRB26DETTを搭載。「TOP OF THE TOURING WAGON」を目指し、ボディ剛性の強化に加え、GT-Rと同じフロントφ324mm厚/リアφ300mm厚のブレンボ社製ブレーキを採用。トランスミッションも5速マニュアルのみと、極めて乗り手を選ぶ仕様であったが、市場からは好意的な反響も多く、翌年にはヘッドライトやフロントグリル、バンパー形状などを変更したマイナーチェンジ版も発売されている。
三菱・パジェロエボリューション (1997年デビュー)
パリダカで勝つために生まれたモンスター
1997年 三菱・パジェロエボリューション
1997年 三菱・パジェロエボリューション
1992年、それまでのギャランVR-4に代わるWRC戦略車として登場したランサーエボリューション。そのおよそ5年後、2代目パジェロのショートモデルをベースに、大幅なモディファイが施されたハイパフォーマンスモデルがパジェロエボリューション。ねじれ剛性を高めたシャシーは前後ともトレッドが拡大され、リアサスペンションは3リンクからダブルウィッシュボーンに変更。エンジンは可変バルタイ/可変吸気機構を持つMIVEC付き6G74・V型6気筒を搭載。最高出力は280馬力を発揮した。国内のモータースポーツシーンにおいてダートラ、ラリーなどで大いに活躍したランサーに対し、主戦場というものがなかったが、デビュー翌年のパリダカ(パリ・グラナダ・ダカール)ではトップ3を独占。4位には弟分のチャレンジャーが入るなど、三菱の圧倒的な成果に貢献した。
三菱・RVR ハイパースポーツギアR (1997年デビュー)
RV車なのにランエボエンジン
1997年 三菱・RVR
コンパクトな車体サイズにファミリーカーとしての使い勝手とワゴンユーティリティを組み合わせたRVR。地上高を高めたスポーツギア、スライド開閉式ルーフを備えたオープンギアなど、遊びゴコロにあふれた追加モデルを投入していたが、そのなかでも強烈なインパクトを見せつけたのが生産終了間際に発売されたハイパースポーツギアR。エンジンは250馬力のMAXパワーを発揮する、ランサーエボリューション直系の4G63型4気筒ターボを搭載(4G63型ターボは「スーパースポーツギア」というレギュラーグレードにも搭載されていたが、こちらは出力が230馬力に抑えられていた)。外観もワイドフェンダーの装着により全幅1740mmの3ナンバー扱いとなり、フロントバンパーもランサーエボリューションの面影が漂う、アグレッシブなデザインが採用されていた。
ホンダ・Z (1998年デビュー)
縦置きミッドシップ4WDという軽自動車
1998年 ホンダ・Z
1998年 ホンダ・ZのUM-4(アンダーフロアミッドシップ4WD)構造イラスト
1998年、外寸のサイズアップを主とする軽自動車規格の変更時に登場したホンダZ。水中メガネの愛称で親しまれた360cc版Zとの関連性は同一ネーミングという点を除けばほとんどなく、新生Zには角張った2ドアSUVという佇まいのスタイルが与えられた。特徴的だったのは、縦置きエンジンを車体中央に配置したアンダーフロアミッドシップ4WD形式(UM-4)の採用。これにより2ドアボディながら広々とした車内空間を確保するとともに、理想的な前後の重量バランスにより優れた操安性を実現。エンジンはOHCターボとNAの2種が選択できたが、ミッションは4速ATのみの設定だった。カリスマ的ロックバンドの、ZZトップが「ゼットだゼット!」と叫ぶTVコマーシャルも話題となったが爆発的ヒットには至らず、販売は4年足らずで終えている。
ホンダ・エリシオンプレステージ (2007年デビュー)
300馬力のFFミニバン
2007年 ホンダ・エリシオンプレステージ
2007年 ホンダ・エリシオンプレステージのエンジン
ブームの時期を過ぎ、新たに上級志向が一つのトレンドとなった国内のミニバン市場を見据え、オデッセイよりひと回り大柄なボディで2004年にデビューしたエリシオン。当初はサラリとシンプルなキャラクターを持ち味としていたが、スペック、装備面ともに強化を重ねるライバル勢に対抗すべく、V6搭載車のパワーユニットを3L・J30Aから300馬力の最高出力を発揮する(4WD車は279馬力)KB1型レジェンド用のJ35Aへと換装。同時にエクステリアにも大幅に手が加えられ、フロントグリルやヘッドライト/テールランプの大型化など、ホンダ製ミニバンのフラッグシップとしての存在感を鮮明にアピールした。
乗り手をワクワクさせた
海外チューナーとのコラボ
1980年代、まだ国内の自動車メーカーが発展途上であった頃、欧州車を手掛けていた有名デザイナーやチューナーが開発に関わった車は大いに人気があった。ジウジアーロやザガート、デ・トマソやロータスなどなど。それだけで気分が上がる車も多かった。
いすゞ・ピアッツァ (1981年デビュー)
美しすぎるジウジアーロデザイン
1981年 いすゞ・ピアッツァ
1981年 いすゞ・ピアッツァ
ジョルジェット・ジウジアーロによるアッソ・ディ・フィオーリ(クラブのエース)、いすゞXという2つのプロトタイプを経たのち、1981年に発売開始されたピアッツァ。デザイン原案を忠実に再現したスタイルは当時のカーマニアを大いに唸(うな)らせたが、反面、流れるようなウエッジシェイプを台無しにするフェンダーミラーの武骨さを際立たせる問題も(2年後にはドアミラーが解禁となり、問題は終息)。発売当初の広告にはジウジアーロ本人も起用されるなど、洗練されたイメージを前面に押し出していた。最上級グレードXEには117クーペ用をベースとしたG200・DOHCエンジンが搭載されていたが、走りはいたってジェントルで、ライバル勢との性能格差を是正すべく、マイナーチェンジで180馬力を発生する4ZC1型2Lターボが追加された。「イルムシャー」や「ハンドリングbyロータス」など、定期的なテコ入れを行いながらおよそ10年のモデルライフを全うした後、FFジェミニをベースとした国内デザインの2代目へとバトンタッチが行われた。
ダイハツ・シャレード (1984年デビュー)
爆発的な人気を得たデ・トマソ仕様
1984年 ダイハツ・シャレード デトマソ
道路の占有面積を最小限に抑えた「5㎡(5平米)カー」を宣伝文句に、1977年に登場した初代シャレード。その2代目のターボエンジン搭載車グレードに追加されたのが、デ・トマソ。ヴァレルンガやマングスタ、パンテーラといったスーパースポーツを手掛けたイタリアの名門メーカーゆえ、どのようなハイチューンが施されているのかと思いきや、スペック自体はベース車のターボモデルと変わらず、大型バンパースポイラーやゴールドのカンパニョーロ製ホイール、ブラック/レッドのインテリアなど、いわゆるコスメ的な演出が主とされていた。それでも精悍(せいかん)さを大幅に高めたコンパクトな車体は非常にスタイリッシュで、若者を中心に好評を博した。1985年には競技用ベース車両のシャレード926ターボをミッドシップ化させたデ・トマソ926Rも試作されたが、これはショーモデル止まり。以後、デ・トマソとのコラボレーションは一時途絶えるが、4代目シャレードにホットモデルとして設定された125馬力の1.6Lエンジン搭載グレードにその名が復活している。
いすゞ・ジェミニ (1986年デビュー)
イルムシャー仕様といえばジェミニ
1986年 いすゞ・ジェミニ
1986年 いすゞ・ジェミニ
映画『ミニミニ大作戦(1969年のオリジナル版)』のカーアクションを担当した、レミ・ジュリエンヌスタントチームによる華麗な走行シーンのTVコマーシャルが話題を集めた2代目ジェミニ。その高性能バージョンとして追加されたのがイルムシャー。同社はドイツに本拠を構えるチューニングメーカーで、オペル車のモディファイをメインとしていた(初代ジェミニはオペル・カデットの兄弟車)。専用のエアロパーツやボンネットに設置されたNACAダクト、ディッシュタイプのフルホイールカバーなど、ひと目でスペシャル仕様であることを物語る車体には4XC1-T・1.5Lターボを搭載。過給圧はハイ/ローと任意に切り替え可能で、ハイモード使用時は120馬力のパワーを発揮。サスペンションもイルムシャーによる強化仕様となっていた。
オーテック・ザガート ステルビオ (1989年デビュー)
1870万円のスーパーカー
1989年 オーテック・ザガート ステルビオ
「あぶ刑事(でか)レパード」として今なお多くのファンを持つ、日産・F31レパードをベースに、イタリアのカロッツェリア・ザガートがコーチワークを担当したステルビオ。ザガートのアイデンティティともなっているダブルバブルルーフを採用するなど、アルミ製の車体とカーボンファイバー製ボンネットを組み合わせたフォルムは、いろんな意味でひと目見たら忘れられないモノ。なかでも極め付きといえるのが、フロントフェンダーと一体化されたフェンダーミラー。このインパクトあふれる外観に対し、インテリアは至って落ち着いた仕上げとなっており、各部にウッドやレザーがふんだんに用いられていた。エンジンはVG30DETにファインチューンが施され、日産標準の255馬力から280馬力へとパワーアップ。限定台数は200台とアナウンスされていたが、1800万円を超える販売価格もあってか、正確な実売台数は不明。また後年、弟分的なモデルとしてガビアがデビュー。こちらはオーソドックスなドアミラーが採用されていた。
スバル・アルシオーネSVX (1991年デビュー)
全面ガラスウインドーのスペシャルティカー
1991年 スバル・アルシオーネSVX
1991年 スバル・アルシオーネSVX
今でも熱狂的なファンが存在する、アルシオーネSVX。いすゞ117クーペやピアッツァなどと並び、プロトタイプモデルをほぼそのまま市販化させた意欲作として独自の評価を持つ(これらはすべて、ジウジアーロによるデザイン)。エンジンは240馬力を発生する3.3L水平対向6気筒、駆動方式は前後輪へのトルク配分を電子制御で行うVTD-4WDを採用。いわゆるスーパースポーツ系ではなく、グランドツーリングスポーツという位置づけから、トランスミッションは4速ATのみの設定だった。筆者自身、その昔、新車取材でSVXに試乗した際、大型クルーザーのようにゆったりとした乗り味にすっかり魅了され、必死でローンを組んでスバル40周年記念モデル「SVX S40」の中古車を購入。開口部の狭いサイドウインドーや乗り降りに気を使う大きなドアには、それなりに苦労したが、スタイルの美しさに加え、大人4人が余裕で乗れる居住性や奥行きの広いトランクといった、実用性の高さなど、使ってみて初めて気づく長所も多かった。なお、SVXのキャッチコピーは「500 miles a day」というものだったが、その通り1日で500マイル(800km)走るには、相当な回数、ガソリンスタンドに立ち寄る必要があるくらいの大飯食らいだったことも、使ってみて初めてわかった事柄の一つだった。
いかがでしたでしょうか。この他にも日本車にはまだまだ個性的なデザイン、装備を持った車がたくさん存在します。もしかしたらアナタの車にもマニアック心をくすぐる斬新装備やデザインがあるかも。ぜひ探してみてください。ちょっとした優越感に浸れますよ。
高橋陽介
たかはし・ようすけ 雑誌・ウェブを中心に執筆をしている自動車専門のフリーライター。子供の頃からの車好きが高じ、九州ローカルのカー雑誌出版社の編集を経て、フリーに。新車情報はもちろん、カスタムやチューニング、レース、旧車などあらゆるジャンルに精通。自身の愛車遍歴はスポーツカーに偏りがち。現愛車は98年式の996型ポルシェ911カレラ。