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ユーザーの度肝を抜いた!? 時代を先取りし過ぎた国産車の“名珍”装備&デザイン

国産車の“当時斬新過ぎた”装備&デザイン30選【前編】

2023.05.04

構成=ダズ/文=高橋陽介(自動車ライター)

2023.05.04

構成=ダズ/文=高橋陽介(自動車ライター)

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日本国内で乗用車の量産化が始まり、多くの日本車が登場し始めたのは、1960年代。それ以降さまざまな車が登場してきたが、中には時代を先取りし過ぎた装備やデザインを持った車も誕生した。「国産車の“当時斬新過ぎた”装備&デザイン30選」の前編は、そんな個性派デザインの車たちをピックアップ。

コンセプトから割り切ったデザイン&装備

当時にしたら、いや今見返してみても、随分と大胆なデザインや装備だなと思う車は多い。確固たるコンセプトを実現するために、ある意味割り切っていたり、画期的であったりと。だからこそ記憶に残り、マニアには今でも愛されているのだと思う。まずはそんな車たちをクローズアップ。

日産・テラノ (1986年デビュー)

SUVなのに2ドア 基本デザインはアメリカで

1986年 日産・テラノ

1986年 日産・テラノ

1986年 日産・テラノ

1986年 日産・テラノ

まだ4駆がRV(レクリエーショナル・ヴィークル)と呼ばれていた1980年代。ハイラックスサーフの対抗馬として登場したテラノ。デザインはレパードJフェリーやNXクーペなど、今回の企画へのノミネート一歩手前まで迫っていた激レア車たちを手がけた北米のNDI(ニッサンデザインインターナショナル=現在はNDA)。当初2ドアで2列シートという独特なレイアウトで、エンジンは2.7Lディーゼル1機種、ミッションもマニュアルのみという簡素な仕様だったが、翌年にATが、3年後には4ドアが追加され、販売台数も尻上がりに推移していった。TVドラマ『北の国から』では純の愛車として登場。さらに映画『いつかギラギラする日』では、トランザムやパトカーとの激闘にも負けないタフな走りを存分に披露している。

日産・シルビアコンバーチブル (1988年デビュー)

人気のデートカーをオープンにした激レア4人乗り

1988年 日産・シルビアコンバーチブル

1988年 日産・シルビアコンバーチブル

プロコル・ハルムの「青い影」をBGMに、「ART FORCE SILVIA」というコピーと共に登場したS13型シルビア。当時プレリュード、セリカなどと共に、スペシャルティカー(平たく言うと、贅沢装備を盛り込んだ、小洒落た2ドアクーペ)というジャンルを大いに盛り上げた。電動開閉式トップを備えたコンバーチブルはクーペから2か月遅れでの登場。ベースはCA18ターボエンジンを搭載したK’s(S13型は当初トランプの絵札のK、Q、Jをグレード名として用いていた)のAT車で、架装はオーテックジャパンが担当していた。他のグレードが200万円以下のプライスレンジであったのに対し、コンバーチブルは350万円オーバーと高額だったこともあってか、クーペほどのヒットには至らず、2Lエンジンが搭載された91年のマイナーチェンジを前にカタログから姿を消している。

ダイハツ・リーザスパイダー (1991年デビュー)

ぶった切った感がたまらない軽オープン

1991年 ダイハツ・リーザスパイダー

1991年 ダイハツ・リーザスパイダー

1991年 ダイハツ・リーザスパイダー

1991年 ダイハツ・リーザスパイダー

愛らしいタマゴ型ボディを特徴としていたリーザをベースに、ルーフを取り去ったオープンモデル、リーザスパイダー。その試作車が初披露されたのは1989年の東京モーターショー。当初はあくまでショーモデルという立ち位置だったが、来場者からの反響の強さに後押しされる形で2年後の91年11月から市販開始となった。ルーフをバッサリ取り去った姿はまんまショーモデルという印象だが、ボディ剛性を確保する補強材を各部に組み込んだため乗車定員は4名から2名へと変更。
独特のスタイルに加え、プリセーム(人工皮革)を用いたシート表皮やモモ製レザーステアリングの他、当時軽自動車クラスではオプション扱いが主流だったエアコンやパワーステアリングを標準装備するなど豪華さも特色とされていたが、ショー会場での反響はどこへやら。総販売台数は400台にも届かず、発売からわずか2年足らずで生産を終えている。

マツダ・AZ-1 (1992年デビュー)

今でも人気の正真正銘ガルウイング

1992年 マツダ・AZ-1

1992年 マツダ・AZ-1

1992年 マツダ・AZ-1

1992年 マツダ・AZ-1

「まさか、本気で売り出すとは」と、当時の車好きの誰もが驚いたマイクロスーパースポーツカー、AZ-1。ネーミングのAZとは、当時マツダが積極的に進めていたディーラーのマルチチャンネル化施策により生まれたオートザム店(ランチアやアウトビアンキの代理店でもあった)の頭文字を取ったもの。そのプロトタイプが登場したのは1989年の東京モーターショー。「AZ550スポーツ」の名のもと、タイプA、B、Cという見た目がまったく異なる3種のデザインを一挙に披露するという大胆な仕掛けは大いに話題を呼んだ。ちなみにAZ-1の原型となったのはタイプA(ショーモデルはライトがリトラクタブル式だった)で、タイプBはトラディショナルスポーツ風、タイプCにいたってはグループCカー風のボディが与えられていた。これはスケルトンモノコックという、フレーム式とモノコック式の長所(外板はボルトオンで応力が一切掛からない)を組み合わせたシャシーの特徴をアピールするためのものだった。

スズキ・X-90 (1995年デビュー)

ラダーフレーム車で2人乗り

1995年 スズキ・X-90

1995年 スズキ・X-90

令和の時代の目線で見ればそこまで違和感はないものの、遡(さかのぼ)ること約30年、当時の感覚では難解という言葉しか見つけることができなかった一台がX-90。ベースとなったのはエンジン・足回りの優れたトータルパッケージングで、ダート競技でも活躍した初代エスクード。そのフレームシャシーにデタッチャブルトップを備えた曲線基調のボディを載せたクルマがX-90なのだが、新車発売時に実車を見た筆者の率直な感想は、「なぜに2シーターなの?」。今さら「もしも」はないが、せめて荷物置き場程度のリアシートがあったなら、このページで取り上げる種別の車にはなっていなかったかもしれない? と、終始後ろ向きなトーンで終わってしまったが、海外では一定の人気があったことを最後に付け加えておきたい。

マツダ・ボンゴフレンディ (1995年デビュー)

オートフリートップの存在を知った車

1995年 マツダ・ボンゴフレンディ

1995年 マツダ・ボンゴ フレンディ

1995年 マツダ・ボンゴフレンディ

1995年 マツダ・ボンゴ フレンディ

ファミリーユースを主体とするミニバンながら、車内のユーティリティや経済性ではなく、開閉式のルーフトップテント「オートフリートップ」を最大のアピールポイントとして1995年に登場したボンゴフレンディ。「随分思い切ったコト、やったモンだなァ」と微笑みたくなる気持ちもわかるが、男性コーラスの「ボンゴフレンディ〜♬」の歌と共にトップがガバッと立ち上がるTVコマーシャルが与えたインパクトは絶大で、オートキャンプなどという言葉が一般的ではなかった時代に、車で出掛けるアウトドアレジャーの楽しさを具現化させて見せた心意気は評価されるべき。もっとも、販売の大半を占めていたのはガバッと開かない、フツーのルーフのほうだったが。

ダイハツ・ミゼットⅡ (1996年デビュー)

当初は1人乗りだったカジュアルな軽トラ

1996年 ダイハツ・ミゼットⅡ

1996年 ダイハツ・ミゼットⅡ

1996年 ダイハツ・ミゼットⅡ

1996年 ダイハツ・ミゼットⅡ

つくづく、ダイハツって面白いメーカーだなァと感服させられた車がミゼットII。なぜ今? なぜこのカタチ? などと理由づけを考えるのは不毛。ひと目見て「いいネ!」と思った人が買ってくれたらOKという割り切りが、実に小気味よかった。発売当時のプレスリリースにも「エコな時代の新しい商用車!」などという押し付けがましい売り文句はどこにもなく、「ミニカーの新しい使い方、楽しみ方を創る、全く新しいタイプのクルマ」とだけ記され、月販目標台数も1,000台と控えめなものだった。価格は40万円台からの設定で、当初はフロアシフトの1人乗りのみであったが、97年にはコラムATの2人乗りタイプが追加。さらに同年、箱型のシェル仕様のミゼットIIカーゴもラインナップに加わった。

日産・エルグランド ロイヤルライン (1998年デビュー)

まるでファーストクラス ミニバンなのに4人乗り

1998年 日産・エルグランド ロイヤルライン

1998年 日産・エルグランド ロイヤルライン

1998年 日産・エルグランド ロイヤルライン

1998年 日産・エルグランド ロイヤルライン

今や高級ミニバンといえばアルファード/ヴェルファイアがその代名詞的な存在感を放っているが、そもそも、このカテゴリーは日産が先鞭(せんべん)をつけたモノ。そんな当時のイケイケな勢いがあふれまくったスペシャルバージョンがオーテックジャパンが手掛けたこのロイヤルライン。関係資料には「ファーストクラス“VIPシート”が、最上のくつろぎをもたらします」という格調高いコピーが。見た目的にはダークブルーイッシュブラックパールという専用色程度しか、通常モデルとの違いは感じられないが、内装は後部を2人乗りと割り切るなどウルトラゴージャス仕様に。セカンドシートを取り去った場所には大型キャビネットを設置。パソコンやビデオデッキ(時代、だなァ)が収納可能とされていた。その他、シブいトコロでは、専用の減衰力チューンが施されたダンパーも採用。さらに電動カーテンやオートステップなど、とにかく至れり尽くせり!

トヨタ・bBオープンデッキ (2001年デビュー)

今なら絶対はやるコンパクトピックアップ

2001年 トヨタ・bBオープンデッキ

2001年 トヨタ・bBオープンデッキ

2001年 トヨタ・bBオープンデッキ

2001年 トヨタ・bBオープンデッキ

2000年の東京オートサロン会場において、実車のノーマル車を発表前にDJブース風に仕立てられたステージでさまざまなカスタムモデルとして披露するなど、おカタい?トヨタのイメージを払拭した大胆なプロモーションが話題を呼んだbB。その1,500cc車をベースに後部をばっさりカットした、奇抜なスタイルのオープンデッキが追加されたのは翌年のこと。右側1ドア、左側は観音開きの2ドア(トヨタではアクセスドアと呼称)という変則的な組み合わせやルーフからリアデッキまで延びたロールバー風のパイプなど、外観は2ボックスの標準モデル以上に個性的。デッキ部分はいわゆるトラックのベッドで、車内との境目にはガラスのハッチゲートが備えられていた。そんなメーカー側の本気の遊びゴコロが散りばめられた仕上がりながら、当時の若者たちからの反応は今ひとつ。う〜ん、生まれてくるのが20年、早過ぎたか?

ホンダ・エディックス (2004年デビュー)

3席2列の6人乗り ベンチシート&コラムシフト

2004年 ホンダ・エディックス

2004年 ホンダ・エディックス

2004年 ホンダ・エディックス

2004年 ホンダ・エディックス

独立した1人掛け用シートを6脚載せて、中央部分にはロングスライド機構を備えるなど、3×2パッケージ(3人掛け2列)という独創性を前面に押し出したエディックス。「箱型のミニバンほどの広さは不要だが、6人分の乗車スペースは欲しい」というコンパクト志向のファミリー層の支持を集めるかと思われたが、販売面では苦戦を強いられ、1代限りで終了となってしまった。同様のパッケージを持つクルマとして日産・ティーノが思い出されるが、こちらも大ヒットには至らず。縦横比率が絶妙な直線基調のフォルムやVTEC機構を備えた2L/1.7Lエンジンなど、人気車となり得る要素は多々あると思うのだが……。車作りって、ホントに難しいですネ。

あの時は画期的だった
今ならいらない珍装備

確かに当時は画期的だったし、重宝されるような斬新な装備だったのだが、車の仕様や社会が変化した今、この装備が必要かと言われると……。でもこんな細やかな部分にまで気を使った装備が生まれるのって、何だか日本っぽくて素敵です。

日産・レパード (1980年デビュー)
フェンダーミラー専用ワイパー

1980年 日産・レパード

1980年 日産・レパード

1980年 日産・レパードのフェンダーミラー用ワイパー

1980年 日産・レパードのフェンダーミラー用ワイパー

大排気量ツアラーといえばソアラがその定番というイメージもあるが、その4か月前にデビューを果たしていたのが日産レパード。異形ヘッドライトのレパードと、角形4灯のTR-X(トライエックス)が設定され、フラッグシップモデルにはL28エンジンを搭載。「スラント角26.5度」と誇らしげに書かれたシャープなスラントノーズや、ガラス面積を広めに取った2ドアハードトップのスタイルは、スーパーカーブームの洗礼を受けた当時のクルマ好き小僧たち(含む筆者)を大いに魅了した。その上級モデルに装備されていたのがフェンダーミラー用ワイパー。後年、GX80系マークII3兄弟にはサイドウインドーワイパーなんて装備も採用されていたが、効果のほどはさておき、シャカシャカとワイパーアームが動く姿は、果たして高級車という雰囲気からするといかがなものか……。

三菱・デボネアⅤ (1986年デビュー)
シガーライターを使うとエアコンが換気モードに

1986年 三菱・デボネアⅤ

1986年 三菱・デボネアⅤ

モデル誕生は1964年。多方面から「シーラカンス」と呼ばれ続けた、ハンス・ブレツナーの折り目正しい角形スタイルから22年ぶりにフルモデルチェンジが行われたのが2代目デボネア。マニアックなファンの間では、専用のエアロパーツで武装した「AMG」が人気だが、ここで注目したいのが「強制排気モード」を備えたデュアルフルオートエアコン。これはシガーライターをONにすると自動的に強制排気装置が作動し、車内からタバコの煙を車外へと排出させる、というもの。この装置が当時の愛煙家に喜ばれたかどうかの資料はないが、ターゲットユーザーの年齢層はどちらかと言えば高めだろうから、このテの健康に配慮した装備は積極的に取り入れられてしかるべきかもしれない?

高橋陽介

たかはし・ようすけ 雑誌・ウェブを中心に執筆をしている自動車専門のフリーライター。子供の頃からの車好きが高じ、九州ローカルのカー雑誌出版社の編集を経て、フリーに。新車情報はもちろん、カスタムやチューニング、レース、旧車などあらゆるジャンルに精通。自身の愛車遍歴はスポーツカーに偏りがち。現愛車は98年式の996型ポルシェ911カレラ。

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