茨城の田園に広がるカオスな宇宙基地。ケネディー電気、修理に捧げた不屈の人生
ナビが知らない、道ばたの人生哲学。#6 ケネディー電気成田国際空港から北上することクルマで25分。茨城県・河内町の穏やかな田園風景の中に突如現れるたくさんのロケット。田んぼのど真ん中に、誰がこんな宇宙センターのような建物を作り上げたのか…… 本企画では、ロードサイドでたびたび出くわす「ちょっとヘンテコな風景」を切り口に、その先に広がる人や土地の面白さをお届けします。
田園にそびえ立つ、謎のロケット群
今回訪れたのは、茨城県南部に位置する稲敷郡・河内町。米作とレンコンの栽培が盛んなこの町を縦断する国道408号は、成田国際空港とつくば市を結ぶ重要なパイプライン。両脇に広がる水田地帯を横目にのんびりと走っていると、突然驚きの光景が飛び込んできます。
それがこちら。田園地帯に現れる大小さまざまなロケット群。奥にある建物にもなにやら目を引くオブジェの数々が。中でも建物に打ち付けられた「今は修理の時代だ」という看板が、ひときわ存在感を放っています。
この建物の正体は、ケネディー電気という名前の電気修理店。「修理は人生の活気と喜びだ」と語る社長の河原田謙さんに、人生の教訓が詰まった会社創業秘話についてお話を伺いました。
売るのは電化製品ではなく修理の技術
——
ここは一体どういうお店なんですか?
端的にいうと技術を売る修理屋だな。全国から送られてくる大小いろんな機械を直すことが主な仕事。ステレオアンプからテレビ、冷蔵庫まで対応できる限りは何でも。あとはリサイクル家電を売ったりもしてるね。
——
全国から依頼が来るんですね。てっきり町の修理屋さんのようなお仕事をされてるのかと思ってました。
いや、ほとんどが遠方だね。遠いところだと九州からも依頼がくるよ。
——
なぜわざわざ九州の人が茨城のケネディー電気に?
テレビでよく取材されるってこともあるけど、おれの修理は他の人とはやり方が違うの。たとえばそこにあるCDコンポ。20年以上前の代物なんだけど、部品がなくてこれだけでは直しようがない。じゃあどうするか。 別の機械と合体させて、音が出るようにしたんだ。
修理済みのCDコンポ。ビデオデッキと合体している。
——すごい、ガッチリつながってる……!
普通の技術屋はそんなことしないけどおれはやる。他の人が諦めるような依頼が来ても、それを成長のチャンスだと捉えるようにしてるの。いろんな方法を考えて、本気で悩んで、トライアンドエラーで何度も挑戦する。
ここで大事なのは「本気でやる」ってことだな。高いスピーカーだって、安いドライヤーだって、やるからには全力で直す。「物を大事にする」という観念が生まれることには変わりないんだから、そこに差はつけない。それがおれのやり方。
——ただ複雑な修理を専門にしているわけではないと。謙さんレベルになると、直ったときって嬉しいものなんでしょうか?
実はそれほど嬉しくない。これまでもう何万台って修理してきたから、今じゃビスを外して中を見れば大体のものは見当がつく。一番嬉しいのは、最初に「この辺がダメなんじゃないか」と予想して当たったとき。要は直す過程の作業が楽しいんだな。
いまだに続く初期衝動、そして修理の武者修行へ
部屋中に吊るされた格言。ふとしたときに思い浮かぶという。
——
初めて機械に興味を持ったのはいつ頃ですか?
小学2年生かな。きっかけは家にあったゼンマイ式の柱時計。なんで動くのか無性に気になって、親父がいないときにこっそり中を開けてみたのよ。そしたらいじりすぎて壊して、案の定、こっぴどく叱られた。だけど、そんなことよりも「なぜ動くのか?」ってことが頭から離れなくなった。それから機械や電気に夢中になっていったの。
——
修理の道を選んだのには、なにかきっかけが?
小学校の通学路にゴミ捨て場があってさ。そこで拾ったラジオを試行錯誤しながら直したのが一番最初の修理体験。初めて音が出た瞬間は今でもよく覚えていてね。その時の喜びとゴミを生かすって信念が、今に至るまで何十年も続いてる。
——
その原体験が今の謙さんを形成しているんですね。
そうだね。それで中学に上がるとラジオ修理のバイトを始めたんだ。おれの故郷の南会津には他に技術者がいなかったからね。高校生になると白黒テレビの時代になったから、テレビの修理も自己流で覚えた。みんな買い替えなんかできないし、近所の人からは重宝されたよ。高校生ながらも、学校の先生より稼いでたんじゃないかな。
——
その頃から今と同じような仕事をしていたんですね。高校卒業後はどのような道を?
卒業後は上京して、日本電子専門学校の電気工学科に入った。でもこんな勉強しても自分にはプラスにならないと思ってすぐに辞めて、修理の武者修行に出たの。
——
修理の武者修行……
?
東北を旅しながら、壊れた家電をひたすら修理して回ったんだ。「家電の具合はどうですか」って一軒一軒訪ねてさ。そういう僻地は大抵電気屋がないから、みんな修理できずに困ってると思って、ポンポン船で離れ小島に行ったりもした。トータルで1000万円くらいは稼いだんじゃないかな。
——
すごすぎる。武者修行を終えた後は何をしていたんですか?
実は横須賀基地の航空隊で、レーダー関係の仕事に就いたの。小さい頃から飛行機とかロケットとか、空を飛ぶような機械に憧れがあって、人生で一度は自衛隊に入ろうと決めてたんだよ。
——
航空隊といえばエリートじゃないですか!
電気工学科で学んでいたことが幸いして、優先的に入れたの。でも航空隊は試験が多くておれの頭では無理だったね。だから1年でスパッと辞めて、修理の道へ進むことを決めたんだ。
モットーは、人がしない仕事をすること
白衣が謙さんの作業着。聴診器でモーターの音をチェック。
——
ケネディー電気を立ち上げたのはいつ頃なんですか?
会社を設立したのが20歳。今76歳だから、56年前だな。最初は千葉の船橋で始まって、移転したりなんだりして、河内町にこの店を建てたのが27年前。ここは7番目の店になるね。
——そんなに若くして起業されたんですね。でも腕は確かだし、経営も最初から順調だったのでは?
全然。店を建てるのに精一杯でトラックなんて到底買えないから、最初の社用車は50ccの小さな原付バイク。修理に伺ったお宅から機械を持って帰るだけでもかなり骨が折れた。電話代やガス代を払えずに何十回も止められたよ。
——
特に苦労した時期とか覚えてます?
3番目の店を作ったときは大変だったね。男たるもの35歳には何らかのケジメをつけるべきだと思ってたから、故郷へ錦を飾る気持ちで福島にどーんと本社を建てたの。確か1億円くらいかかったんじゃないかな。金? そりゃ借金に決まってるだろ。当時、公務員の月給が6万円だった時代に、毎月の支払いが23万3000円あった。きっちり耳を揃えて返済したけどね。
ケネディー電気福島本店。
——
それだけの借金をどうやって返したんですか?
簡単だよ。とにかく人が嫌がるような仕事を重点的にやるの。たとえば屋根のアンテナ設置工事は、危なくてみんな嫌がるから稼げる。台風の後にはアンテナが倒れたお宅を一軒一軒探して修理させてもらったり。
あとは「どうすれば人の倍仕事ができるか」を常に頭に置いて動いていたね。アンテナの設置なら、前日の夜に組み立てとけば、あとは客先で置くだけだろ。そんなふうに、「人がやらないこと、できないことをしよう」と思って、ここまでやってきたわけ。
謎の修理依頼の正体は、まさかの重要プロジェクト
スネオヘアーのミュージックビデオ撮影地として使われたケネディー電気。ファンが聖地巡礼に訪れることも。
——
これまでで印象に残っている修理はありますか?
去年の12月に「ライトが壊れたんだけど、修理できますか」って電話があったんだ。「ライト」って聞いたから、工事現場で使う照明かなと思っていざ持ってきてもらったら、見たことのない機械だったの。何に使うものなのか聞いたら「これがないと人工衛星が打ち上がらない」って言うんだよ。
——
人工衛星の打ち上げに使うライト……
? 明らかにただごとではないですね。
うまく話が噛み合わないから、最初はふざけたこと言う野郎だなと思ったの。でも渡された名刺を見たらそこに「JAXA」って書いてあって。
——
えっ、あのJAXA?
あのJAXA。名刺にはちゃんと「宇宙開発事業団」とも書かれてあって、そこで初めてすごい機械なんだなと理解した。日本製の機械なんだけど、その企業はとっくに倒産しちゃってたのよ。それで困ってうちに持ってきたんだろうな。
——
直せたんですか?
うん。1台目は部品も簡単に手に入って、さほど苦労はしなかった。ところが大変だったのは、追加で依頼を受けた2台目。必要な部品を買いに秋葉原に行ったんだけど、どれだけ店を回っても部品が見つからなかったの。
それでも諦めずにひたすら探してたら、電気屋の店主が「これならいけるんじゃないか」って別の部品を提案してくれて、大当たり。少し加工したら無事にセットできて、修理を終えられた。「金なんていらない」って思うくらい、本当に光栄な仕事だったよ。
妻の敏江さん。電気科出身のため、難しい修理は二人で協力して作業をすることも。
——
にしても依頼の経緯が気になりますね。やはり外のロケットなんでしょうか。
どうだろうね。JAXAの人がどういう経緯でうちを知ったのかはわからないけど、ロケットに惹かれていろんな人が訪ねてくるのは事実。なんならNASAの宇宙飛行士が来たこともある。
——今度はNASAですか⁉︎
ケネディー電気の前の国道は、宇宙開発関係者がよく通るんだよ。NASAの宇宙飛行士も、成田空港から筑波宇宙センターに向かう途中でうちを見て「あのロケットはなんだ?」ってなったみたい。友好の証って、自分が付けてたNASAのバッジをくれたのはいい思い出だよ。
——
ずっと気になってたんですけど、あのロケットはどういう意図で建てられたんでしょうか?
あれはね、うーん……。なんとなく建てた。
——
何となく⁉︎
店名から察するに、ケネディ宇宙センターを意識しているんだと思ってたのですが。
違う。名前の由来はジョン・F・ケネディ。「キューバ危機」って聞いたことあるだろ。冷戦時代にアメリカとソ連が対立して、核戦争の一歩手前まで行ったってやつ。当時大統領だったケネディがボタンを押せば核戦争になっていたけど、彼は直前で踏みとどまった。その決断力に憧れて、ケネディー電気と名付けたんだ。
脈々と継がれていくケネディーイズム
——
どのエピソードも強烈で、謙さんの「本気さ」が伝わりました。ちなみに今後の野望とかありますか?
今まで通り仕事を続けるだけだね。それができなくなったら福島に帰る。ここはおれにとって出稼ぎをする場所だから。
——
え、そうなったらこの場所は……?
やりたい人がいれば、この店は全部そのままやるつもり。おれみたいに電気や修理が好きで、気概がある人なら誰でもいい。今店に置いてる物も結構な額になるはずだから、それを売って2、3年遊んで暮らしてくれてもいい。
——
お子さんが家業として継ぐ選択はないんですか?
それぞれ自分の仕事があるからね。子供たちには昔から「人に使われるな、自分でやれ」って口酸っぱく教育してきたの。その結果、娘はラーメン屋を3つ経営してるし、息子は設備会社の社長をやってる。
——
見事に謙さんイズムを継いだんですね。
この前家系図を調べたら、先祖は南会津の城の築城主だったのよ。久川城っていうんだけど。だから多分、「人に使われねえぞ」って遺伝子が脈々と受け継がれてんだろうな。
——
遺伝が強い。では今後も修理を続けていくのが何よりの目標ということですね。
そうだね。おれは自分の道は選びたいように選んできたし、やりたいと思ったことはほとんどやってきたから、いつ死んでも悔いはない。何より「修理」はおれにとって、人生の活気と喜びなの。だからこれからも今まで通り続けるだけだね。
情熱の炎を燃やし続ける
田園に浮かぶロケット基地。その正体は、修理に人生をかけた謙さんの技術と発想力、そして野望が詰まった工房でした。
見上げた空に光る人工衛星には、もしかするとケネディー電気の技が使われているのかも。そう思うとなんとロマンあふれる仕事なんでしょうか。
技術力の真髄は65年以上も続く初期衝動。大切なのは情熱を忘れず、どんな修理にも本気で取り組むこと。謙さんの修理に対する想いから「あるべき仕事への向き合い方」を教わりました。その一本気な姿に、背筋をスッと正された気がします。
ケネディー電気
茨城県稲敷郡河内町長竿3450-1
TEL:0297-84-5057
営業時間:8:00~20:00
定休日:年中無休。臨時休業あり。
※敷地内の無断撮影は禁止。見学料は1,000円。