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難解? 愉快? ライバル挑発系も? 夢と希望に溢れていた、昭和時代の広告コピーを面白おかしく再検証!

クルマキャッチコピークイズ

2023.12.17

文・構成=高橋陽介/制作協力=ダズ

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1年点検を受けると、だれにでもチャンス

「たまらなくテイスティ。」、「愛らしく、小粋に。」、「聴こえる、24ビート。」。これらはすべて、昭和のクルマたちの広告プロモーション用として使われていたキャッチコピーです。イマドキのクルマは「新型○○、登場」、「NEW○○、発売」など、シンプルに車名を訴求する手法が一般的となっているようですが、ひと昔前は新型車の発表やフルモデルチェンジの際にはより多くの人々の関心を惹きつけるべく、趣向を凝らしたコピーが付けられていました。今回は、そんな中でも当時のクルマファンたちの琴線を刺激したキャッチコピーの数々をクイズ形式でまとめてみました。さて、あなたは何台答えられますか?

※文頭のキャッチコピー例の解答
「たまらなくテイスティ。」 マツダ・カペラ(1982年9月発売モデル)
「愛らしく、小粋に。」 スズキ・セルボ(1977年10月発売モデル)
「聴こえる、24ビート。」 トヨタ・セリカXX 2000GT(1982年8月発売モデル)

Q1 『足のいいやつ』

低重心設計&1,600cc全車に5速MTを標準設定。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q1答え】
トヨタ・カリーナ(1970年12月発売モデル)

CMキャラクターには千葉真一を起用。アクティブなフットワーク性能をアピールしていた。写真は1981年に登場した3代目モデル。

CMキャラクターには千葉真一を起用。アクティブなフットワーク性能をアピールしていた。写真は1981年に登場した3代目モデル。

セリカとシャシーを共有しつつ、当初から4ドアを設定した他、DOHCエンジンを搭載した「GT」以外でも1,600ccの全車に5速マニュアルミッションを標準設定とするなど、生まれながらにしてスポーツセダンとしてのキャラクターが与えられていたカリーナ。サスペンションはフロントはストラット、リアはラテラルロッド付き4リンクを採用。オプションとしてチェッカーパターンのストライプステッカーやレザートップなども用意されていた。「足のいいやつ」のコピーは初代モデルの途中から使われるようになり、以後FF化された4代目(1984年)まで脈々と受け継がれた。

FRの駆動方式で発売された3代目カリーナだが、84年には4代目となるFFモデルが追加。こちらにも「足のいいやつ」のコピーが用いられていた。

FRの駆動方式で発売された3代目カリーナだが、84年には4代目となるFFモデルが追加。こちらにも「足のいいやつ」のコピーが用いられていた。

<1970年の出来事>

日本万国博覧会(大阪)開催
東京に歩行者天国登場(銀座、新宿、池袋、浅草)
日航機「よど号」ハイジャック事件起きる

Q2 『名ばかりのGT達は、道をあける。』

ターボ vs DOHCバトルの火付け役。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q2答え】
トヨタ・セリカ(1979年8月マイナーチェンジモデル)

ローリングストーンズのSatisfactionをBGMに、赤いセリカが姿を現すTVCMは、とにかくカッコ良かった。

ローリングストーンズのSatisfactionをBGMに、赤いセリカが姿を現すTVCMは、とにかくカッコ良かった。

エンジンがDOHC(ツインカム)じゃないスポーツ車は気安く「GT」を名乗るべからずと、カーファンたちの間でも物議を呼んだ挑発的なコピー(当時この機構のエンジンを量産していたメーカーはトヨタといすゞのみだった)。その指摘に該当するクルマは日産や三菱、マツダなどにも見られたが、仮想ターゲットとしていたのはズバリ、スカイライン。日産はこの「売られたケンカ」に、翌年、スカイラインをターボにして対抗。セリカを大きく凌ぐ動力性能を発揮し、広告コピーにおいても「さらば。平凡なクルマたちよ。」と、一気に形勢逆転を果たした。ちなみに、このC210型スカイラインの愛称である「ジャパン」も、発売時のキャッチコピー「SKYLINE JAPAN」に由来していることは周知の通り。

今見ても十分スタイリッシュな2代目セリカ。写真のクーペモデルの他、大きいテールゲートを備えたリフトバックも設定されていた。

今見ても十分スタイリッシュな2代目セリカ。写真のクーペモデルの他、広いテールゲートを備えたリフトバックも設定されていた。

<1979年の出来事>

ソニー「ウォークマン」発売
日本初のF3レースが鈴鹿サーキットで開催。佐々木秀六選手が優勝を飾る
「機動戦士ガンダム」テレビ初放映

忘れられない“童夢”の衝撃

筆者の少年時代

この時代の思い出として忘れられないのが、1978年のジュネーブショーで姿を現した童夢―零。ランボルギーニ・カウンタックとも、フェラーリBBとも異なる大胆なウエッジシェイプに加え、漢字を使った車名も近未来感を漂わせていた。さらに翌79年には純レーシングカーの童夢―零RLが第47回ルマン24時間レースに挑戦。結果は出走した2台ともリタイアとなったが、ロングテールの平べったいフォルムはロードカーの零と並ぶ人気を博した。写真は筆者が小学6年生の頃、故郷の大分に童夢―零がやって来たときのもの。“童夢が来る!”と、母親に入場料をせがんで連れて行ってもらった。

Q3 『未体験ゾーンへ。』

未来的なデジタルメーターに大人も子供も熱狂! このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q3答え】
トヨタ・ソアラ(1981年2月発売モデル)

極めて優れた動力性能を備えながら、キャラクター的にはあくまでジェントル路線に徹していたソアラ。オプションでランドゥトップも設定されていた。

極めて優れた動力性能を備えながら、キャラクター的にはあくまでジェントル路線に徹していたソアラ。オプションでランドゥトップも設定されていた。

当時の若者たちはもちろん、クルマ好きの子供たち(筆者もその一人)にもスーパーカーブーム以来のインパクトをもたらしたソアラ。前年11月に行われた大阪国際オートショーに出品されたプロトタイプ、EX-8そのものの端正なスタイルに2,800ccという大排気量の直列6気筒DOHCエンジンを搭載。伝説の名車トヨタ2000GTを凌ぐ170馬力の大パワーや4輪ベンチレーテッドディスクブレーキ、そして未来感満載のデジタルメーター等々、すべてがコピーの通り「未体験」級。動力性能も素晴らしく、自動車専門各誌のテストでは最高速度200km/hを突破。価格についても最上級グレードの2800GTエクストラは293万8000円(※)と、同社のクラウンシリーズはもとより、ライバルの日産レパードをも凌ぐ高額設定となっていた。
※AT車/東京地区標準価格

「ホリゾンタルトーニング」と名付けられたゴールド/ブラウンの2トーンカラーが発売時のイメージカラーだったが、こちらのスーパーホワイトも人気だった。

「ホリゾンタルトーニング」と名付けられたゴールド/ブラウンの2トーンカラーが発売時のイメージカラーだったが、こちらのスーパーホワイトも人気だった。

<1981 年の出来事>

寺尾聰「ルビーの指環」日本レコード大賞受賞
神戸ポートアイランド博覧会「ポートピア’81」開催
なめんなよ「なめ猫」ブーム

Q4 『スズキのマー坊とでも呼んでくれ。』

シンプルを極めた軽ピックアップ。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q4答え】
スズキ・マイティボーイ(1983年2月発売モデル)

リアにデッキカバーが備わるのはLタイプ(写真)。45万円のAタイプはまんまピックアップ風のスタイルとなっていた。

リアにデッキカバーが備わるのはLタイプ(写真)。45万円のAタイプはまんまピックアップ風のスタイルとなっていた。

前年6月に発売されたコンパクトクーペ、セルボのリアクォーター部をばっさりカット。アメリカ車のエルカミーノやランチェロといった乗用車風ピックアップトラックボディ(メーカー側では2シーター+マイティデッキと呼称)に仕立てたマイティボーイ。キャッチコピー以前に衝撃的だったのが、東京JAPが歌う「金は無いけどマイティボーイ!」というコマーシャルソングの歌詞。スズキは1979年に全国統一価格47万円のアルトを発売していたが、マイティボーイは徹底した装備の簡素化を図ることでさらにその下をくぐる45万円という低価格を実現。しかも単なるセルボのカットオフモデルというだけでなく、セルボに対し最高出力を1馬力落とし、最終減速比もローギアード寄りとするなど、より実用志向の味付けも施されていた。

角型ヘッドライトのセルボに対し、マイティボーイは丸型ライトが採用されていた(2年後のマイナーチェンジで角型に変更された)。

角型ヘッドライトのセルボに対し、マイティボーイは丸型ライトが採用されていた(2年後のマイナーチェンジで角型に変更された)。

<1983年の出来事>

日産とアルファロメオの提携により設立された「アルナ社」が小型車の生産開始
ドアミラーが認可に。第一号は日産パルサーEXAターボ
任天堂ファミリーコンピュータ(通称ファミコン)発売開始

Q5 『FFスーパーボルテージ』

当時、これに乗ればモテモテだった!? このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q5答え】
ホンダ・プレリュード(1982年11月発売モデル)

スペシャルティカーと呼ばれたミドルクラスのクーペ市場において爆発的ヒットを飛ばしたプレリュード。3年後には2リッターDOHCエンジンを搭載したSiも追加された。

スペシャルティカーと呼ばれたミドルクラスのクーペ市場において爆発的ヒットとなったプレリュード。3年後には2リッターDOHCエンジンを搭載したSiも追加された。

重厚なボレロをBGMにスローモーションで姿を現す、ドラマチックなTVCMが印象的だった2代目プレリュード。2+2キャビンのノッチバッククーペという基本スタイルは初代を踏襲したものだが、ノーズの低さを強調させるべくフロントにはダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用。国産車初のアンチロックブレーキシステム装着車としても話題となった。デビュー当初、エンジンは125馬力の1.8リッター3バルブSOHCのみだったが、85年には160馬力の2リッターDOHC・B20Aを搭載したSiが追加。先端がスラントした専用のフロントバンパーやグリル、テールランプなど、外観についても1.8リッター車との差別化が図られていた。当時はバブル景気前夜とも言える時代で、若者の間ではセリカやシルビアなどと並ぶデートカーとしても大いに人気を集めた。

フロントダブルウィッシュボーン式サスペンションの採用により、FF車の常識を覆す低いボンネットラインを実現。シャープなハンドリング性能も美点としていた。

フロントダブルウィッシュボーン式サスペンションの採用により、FF車の常識を覆す低いボンネットラインを実現。シャープなハンドリング性能も美点としていた。

<1982年の出来事>

東北新幹線(大宮―盛岡間)開業
500円硬貨発行される
フジテレビ系列「笑っていいとも」放送開始

Q6 『結晶。5㎡カー。』

オードリー・ヘプバーンの主演の同名映画も。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q6答え】
ダイハツ・シャレード(1977年11月発売モデル)

路面投影面積の小ささを謳うアイディアは良かったが、市場にはイマイチその真意が伝わり難かったのか、翌年には「小意気なクルマ・シャレード」とキャッチが変更されている。

路面投影面積の小ささを謳うアイディアは良かったが、市場にはイマイチその真意が伝わり難かったのか、翌年には「小意気なクルマ・シャレード」とキャッチが変更されている。

5㎡とは路上の占有面積のことで、当時の軽自動車(4.48㎡)より僅かに大きなサイズの車体に5名分の乗車空間と荷室を備えた、高密度なレイアウトを意味していた。量産小型車としては極めて画期的な3気筒エンジンを横置き搭載したことや、1982年のサファリラリーに挑戦しグループ2・クラス4の優勝車となったことでも話題に。シャレードの登場はこの時期、拡大傾向にあったコンパクトカークラスの動向にも影響を与え、のちに起こるリッターカーブームの立役者にもなった。その後、2代目モデルでは世界最小の1,000ccディーゼルを搭載(初代モデルに続き国際ラリーにも挑戦)。こちらのキャッチコピーは「凄いビートだぜ。Rock’nディーゼル」というポップなものだった。

ホイールを車体の四隅ぎりぎりに配置したことで、車体サイズからは想像できない広々とした車内空間を確保。後に2ドアのクーペモデルも追加された。

ホイールを車体の四隅ぎりぎりに配置したことで、車体サイズからは想像できない広々とした車内空間を確保。後に2ドアのクーペモデルも追加された。

<1977年の出来事>

巨人軍王貞治選手756号ホームラン(世界記録)。国民栄誉賞受賞第一号
静止気象衛星「ひまわり」打ち上げ
沢田研二「勝手にしやがれ」日本レコード大賞受賞

Q7 『シニア感覚』

最終的な市販プロトモデル名は「いすゞX」。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q7答え】
いすゞ・ピアッツァ(1981年6月発売モデル)

広告には名匠ジウジアーロも登場。117クーペ、フローリアン、ピアッツァ、後年のビークロスと、いすゞはプロトタイプカーをほぼそのままの姿で市販する例も多かった。

広告には名匠ジウジアーロも登場。117クーペ、フローリアン、ピアッツァ、後年のビークロスと、いすゞはプロトタイプカーをほぼそのままの姿で市販する例も多かった。

令和の視点から見ると「お年寄り向けのクルマ?」という誤解を招くかもしれないが、ピアッツァが誕生した1981年当時、「シニア」という語感には洗練・精緻・先進性といったイメージがあったようだ(CMソングは、ジャズシンガー阿川泰子の「She-Senior Dreams」)。そのピアッツァだが、デザインを担当したのはカロッツェリア・ギア在籍時代に117クーペを手掛けたジウジアーロ。コンセプトカー「アッソ・ディ・フィオーリ(トランプのクラブのエース)」の造形を忠実に再現した流麗なフォルムはフラッシュサーフェスという手法によるもの。しかし、これによりフェンダーミラーの不粋さが一層際立つ結果に。もちろん83年のドアミラー解禁後はピアッツァも早々にドアミラー化。この時の「ピアッツァほどドアミラーの似合うクルマはない。」という広告コピーは、開発陣の心の声そのものだったハズだ。

写真はマイナーチェンジ後に追加されたターボモデル。バンパーデザインもゴツくなり、ウインカー位置が下段に移動している。

写真はマイナーチェンジ後に追加されたターボモデル。バンパーデザインもゴツくなり、ウインカー位置が下段に移動している。

<1981年の出来事 その2>

パイオニアがレーザーディスク発売
第1回(80-81)日本カー・オブ・ザ・イヤーを東洋工業(現マツダ)・ファミリアが受賞
ピンク・レディーが後楽園球場で解散コンサート

Q8 『舞台は主役を待っていた。』

初代モデルの愛称は“ダルマ”。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q8答え】
トヨタ・コロナ(1982年1月発売モデル)

当時大ヒットを飛ばしていたライバル、ブルーバードの「ブルーバードお前の時代だ。」に対し、いやいや主役はオレよ、というコピーで巻き返しを図った。

当時大ヒットを飛ばしていたライバル、ブルーバードの「ブルーバードお前の時代だ。」に対し、いやいや主役はオレよ、というコピーで巻き返しを図った。

ブルーバードの広告

沢田研二がキャラクターをつとめていたブルーバードの広告。

かつてカーファンたちの間では「BC戦争」と呼ばれていたほど、販売台数争いにおいて熾烈な戦いを繰り広げていた日産・ブルーバードとトヨタ・コロナ。そんななか、79年に発売された910型ブルーバードは空前のヒットを記録。80年、81年と2年連続でコロナの販売台数を凌駕しただけでなく、国産乗用車全体枠においてカローラに次ぐ2位の座を獲得した。この苦境を打開すべく登場したのが7代目コロナ。TVCMは白いスーツの敵役(ブルーバードのイメージキャラクターだった沢田研二を意識)がビルから噴水に落下した脇を、3代目007ジェームズ・ボンド役として知られるロジャー・ムーアが「Have a good day.」のセリフを残しコロナで走り去るという、セリカvsスカイラインの一件を思い起こさせる挑発的なものだった。

若々しく、スポーティなスタイルに一新された7代目コロナのハードトップモデル。リアフェンダーにはGT/TWIN CAMの文字が誇らしげに添えられていた。

若々しく、スポーティなスタイルに一新された7代目コロナのハードトップモデル。リアフェンダーにはGT/TWIN CAMの文字が誇らしげに添えられていた。

<1982年の出来事 その2>

テレホンカード発売、運用開始
スティーブン・スピルバーグ監督の映画「E.T.」公開
あみん「待つわ」が大ヒット

本当におおらかだった昭和時代

セリカやコロナのコピーを見ると、トヨタ側が日産に仕掛けるパターンが多いようにも思えるが、日産もなかなか強気。1978年のパルサー発売時の広告面にはなんと、後方にルノー・5、VWゴルフ、アルファロメオ・アルファスッドなど、欧州の名だたるFF2ボックス車がズラリ(ご丁寧にも全車、車名が入った化粧プレート付き)。リードコピーには「拝啓、ヨーロッパの先駆車よ」とあるが、そこには「おめーらには負けねーゾ」、という気概が感じられた。さらに過激に攻めたのが、81年発売のローレルターボGX。メインビジュアルは疾走するローレルに置き去りにされた(という設定の)メルセデスベンツSLの姿がチラリ!
何かあったら即炎上の現代とは異なり、いろんな意味で寛容な時代だったようだ。

Q9 『白い稲妻』

双子の相棒が「西部警察」で活躍。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q9答え】
日産・シルビア(1979年3月発売モデル)

シルビアの広告

おカタイ系の自動車専門誌からの評価は芳しくなかったが、ヤングユーザー層からの支持は高かった3代目シルビア。後にハッチバックモデルも追加された。

日産シルビアの広告

「白い稲妻」のコピーは後継モデルのS12型にも受け継がれた。リトラクタブルライトや「4VALVE DOHC TURBO」の文字が並んだパワーバルジ(ターボRS-Xグレード)など、かなり欲張ったデザインが盛り込まれていた。

ロータリーエンジンの搭載を想定した近未来デザインが特徴的だった先代から一転、直線基調のトラディショナルなノッチバッククーペとして発売されたのが3代目シルビア。シャシーは初代がフェアレディ1600、先代はサニーエクセレント用がベースとなっていたが、3代目はA10型バイオレット用が使用された。ボディの幅に対しトレッドが狭められた独特のプロポーションは好みが分かれるトコロだったが、当時の自動車カスタムファンにとっては逆に好都合で、ワイドサイズのタイヤ/ホイールに交換された姿を多く目にした。このモデルから日産モーター系販売店向け(シルビアは日産サニー系)の兄弟車、ガゼールも登場した。

日産・シルビア(1979)

日産・シルビア(1979)

<1979年の出来事 その2>

第二次オイルショック
運転免許保有者が4000万人を突破
日産バイオレットがサファリラリーで総合優勝

Q10 『較べることの無意味さをおしえてあげよう。』

日本以上に北米で人気、愛称はZ-car。このキャッチコピーが使われた車種名は?

【Q10答え】
日産・フェアレディZ (1983年9月発売モデル)

このコピー通り、しばらくは王座の地位にあったZだが、1984年に3リッターターボのトヨタ・スープラが登場。その後、国産スポーツカーは怒涛の280馬力時代へと突入して行くことに。

このコピー通り、しばらくは王座の地位にあったZだが、1984年に3リッターターボのトヨタ・スープラが登場。その後、国産スポーツカーは怒涛の280馬力時代へと突入して行くことに。

かつては異次元の世界と思われていた最高速度200km/hの壁だが、80年代に入るとソアラ、セリカXX、サバンナRX-7ターボ、スカイラインRSターボなどがその壁を次々に突破。もはや「ツインカムとターボ、どっちがエラい?」という議論も過去のモノに。そんななか、「まァ、なんだかんだ言っても、性能は俺が一番だからネ」というトップ・オブ・ザ・トップとしての余裕漂うキャッチコピーとともに登場したのが3代目フェアレディZ。特徴的なパラレルライジングヘッドランプを備えたロングノーズの下には最高出力230馬力を発生する3リッターV型6気筒ターボエンジンを搭載。最高速度は230km/hオーバー、0〜400m加速も14秒台という凄まじさで、トヨタも最高峰ユニット5M-GEUにテコ入れを図り175馬力とするも、パフォーマンス面の格差は明白だった。

S30、S130の面影を残しつつ、近代化が図られたスタイル。2リッター、3リッターともにエンジンはそれまでの直6から全車V型6気筒となった。

S30、S130の面影を残しつつ、近代化が図られたスタイル。2リッター、3リッターともにエンジンはそれまでの直6から全車V型6気筒となった。

<1983年の出来事 その2>

東京ディズニーランド開業
NHK連続テレビ小説「おしん」放送開始
スズキRG250γ(ガンマ)発売。オートバイにレーサーレプリカブーム到来

キャッチコピークイズ、いかがでしたでしょうか? クルマを取り巻く環境は大きく移り変わり、現代はサステナブルな視点に立ったエコな性能が第一に求められる世の中となりましたが、1970〜80年代初頭は動力性能や先進装備面において「他社に追いつけ追い越せ」という熱いロマンに溢れていた時代だったことが、改めておわかりいただけたかと思います。今回はその中のごく一部を取り上げてみましたが、他にもまだまだ斬新かつユニークなコピーが付けられていたクルマはあります。クルマ関連のサイトや古書店などで面白いキャッチコピーを探しつつ、そのコピーが生まれるに至ったバックグラウンドを掘り下げてみるのも楽しいかもしれません。

高橋陽介

たかはし・ようすけ 雑誌・Webを中心に執筆をしている自動車専門のフリーライター。子供の頃からの車好きが高じ、九州ローカルのカー雑誌出版社の編集を経て、フリーに。新車情報はもちろん、カスタムやチューニング、レース、旧車などあらゆるジャンルに興味を寄せる。自身の愛車遍歴はスポーツカーに偏りがち。現愛車は98年式の996型ポルシェ911カレラ。

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