その旧車、レンタルさせてください

いすゞ・117クーペ(PA95型)。美しさと走りを併せ持ったグランツーリスモ

自動車ライター・下野康史の旧車試乗記

下野康史
2023.08.28

文=下野康史/撮影=荒川正幸

2023.08.28

文=下野康史/撮影=荒川正幸

かつて乗用車も生産していたいすゞの117クーペに試乗。カーデザイン界の巨匠、ジウジアーロが手掛けた117クーペの走りは、そのボディのように流麗なのでしょうか。自動車ライター・下野康史さんが懐かしい旧車のレンタカーや広報車などを借り受け、その走りをレポートします。

117クーペの外観

いすゞ・117クーペは1966年にスイスで開かれたジュネーブショーでギア・いすゞ117スポルトとして初お目見え。同年の10月の第13回東京モーターショーでは進化版として117スポーツが登場した。1968年に117クーペとして市販車が発売、後継車となるピアッツァがデビューする1981年まで生産された。登場時の希望小売価格は東京地区で172万円。
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117クーペの斜め後ろの姿

いすゞ車のプロショップ、イスズスポーツでお借りしたのは1974年式で、グレードはXG。1973年のマイナーチェンジによってボディー製作が機械化され、テールランプが大型のものに変わった。スリーサイズは全長4,310mm×全幅1,600mm×全高1,320mm。同社によると現在レンタカー事業はお休み中とのことだったが、今回特別にレンタルさせていただいた。
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美しいクーペボディーの弱点は、“雨じまい”

雨の夜、50年前のいすゞ117クーペを借り出してきた編集部Nさんに「どお?」と聞くと、117クーペ初体験の彼は「難攻不落って感じですね」と答えた。
どれどれと、バトンタッチして走り出す。試乗車の年式の1974年といえば、Nさんはマイナス1歳だったそうだが、ぼくはその年に免許を取った。117クーペは81年5月まで生産されたから、現役の新車も運転経験がある。
だが、ほぼ50年の歳月はさすがに重かった。パワーステアリングではないから、覚悟はしていたが、それにしても、こんなにハンドルが重たかったっけ? とくに停車時の据え切りは重い。車庫入れではフーフー言ってしまう。
クーラーが付いていないため、全部の窓ガラスが曇っていた。リアウインドウにデフロスターは付いているが、スイッチに気づいたときは手遅れだった。とくに梅雨時は曇り止めのスプレーとウエスが必須である。
後ろが見えないので、運転席側のドアを開けて頭を出したら、雨水がドバドバッと落ちてきた。117クーペはボディーラインがすばらしくきれいだが、屋根の雨どいのつくりはよくない。そういえば、むかし“雨じまい”という言葉があったのを思い出す。

カメラやバスケットボールのデザインも手掛けるジウジアーロの、代表作のひとつ

117クーペはイタリアのジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたいすゞの2ドアクーペである。日本の発売は68年12月だが、“ギア・いすゞ117スポルト”の名で初お披露目されたのは、66年春のジュネーブショーだった。その後、カロッツェリア・ギアを離れてイタルデザインを創設したジウジアーロの初期の代表作のひとつである。
試乗車をレンタカーとして用意するのは、東京都羽村市にあるイスズスポーツ。2002年に乗用車生産から撤退したいすゞのクルマを販売・修理する専門店で、1日1万6000円のおてごろ料金でこの74年式1800XGを貸し出している。117クーペがほしいけれど乗ったことはないという人に“お試し”のチャンスがあるのはとてもよいことだと思う。

117クーペのインパネ

室内に目を向けると、インストルメントパネルでは7連メーターが目を引く。タコメーターは6,500回転からイエローゾーン、レッドゾーンは7,000回転。
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パワフルなエンジンは快調そのもの。リアシートも快適

天候に恵まれた翌日、街なかから高速道路、ちょっとした山道まで走ると、印象はすっかり好転した。
いま普段乗りするのに最適というコンセプトのもと、キャブレターをSUからソレックスに換え、点火系を強化するなど、イスズスポーツ流のモディファイを施していることもあり、1.8リッター4気筒DOHCは快調そのものである。
もともと低速トルクのあるエンジンだから、街なかでも扱いやすい。3500rpmも回せば、峠道をスイスイ上るし、そのへんまでの回転域なら音も振動も低い。100km/hは4速トップで3000rpmちょっとだから、高速道路を使ったロングドライブもまだ十分イケそうだ。
エイジレスな外観のためにフト忘れがちだが、基本設計は60年代の昔である。そんな国産オールドタイマーが今でもこれほどよく走るとは驚きだ。
クーペとはいえ、背もたれの寝たリアシートは意外や広い。実用性も犠牲にしないのは、初代フォルクスワーゲン・ゴルフを手がけたジウジアーロデザインの特徴だ。この日は幸いにして、そんなに暑くなかった。前席の三角窓を開け、後席窓ガラスのフラップを開放すると、走行風が車内を抜けて気持ちよかった。

117クーペのエンジンルーム

イスズスポーツによってキャブレターや排気系にモディファイが施された、排気量1,817ccのG180W型エンジン。1970年代はオイルショックや排ガス規制によって、スポーツカーの牙が次々に抜かれていったが、いすゞはスポーティなツインカムエンジンの搭載をあきらめなかった。
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117クーペのフロントシート

座った人の体重をスプリングで支えている印象があるシート。ふんわりとしたバネ感は懐かしく、それでいて快適な座り心地だった。
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117クーペのリアシート

リアシートは頭上空間こそミニマムだが、それ以外はボディーの大きさからすれば十分に広い。
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117クーペが走り去る姿

中期型以降は、初期型と比べてテールライトが大型化された。ほれぼれするような“曲面美”は初期型から受け継がれている。
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21世紀になってもほれぼれする“デザイナーズカー”

117クーペは現役時代から美しさで一目置かれていた。21世紀にあらためて見ても、ほれぼれする。
後輪まわりからトランクにかけての三次曲面とか、ボンネット先端部の鉄板の折り方とか、いかにも人の手で描かれたカタチだ。思わずナデナデしたくなる。実物大のクレイ(粘土)モデルをつくることなく、コンピューターの中だけでデザインされるクルマが増えるいま、まさにこれぞ“デザイナーズカー”である。
屋根を支えるすべてのピラー(支柱)が繊細なほど細いのは、現在の衝突安全基準ではつくりたくてもできないだろう。「これがバンパーというものです」と訴えるようなメッキの金属バンパーも、樹脂バンパーを見慣れた目には新鮮に映る。
117クーペにこんな色あったっけ!? と思った藤色のボディーカラーは、モデル最終期に出た“ドーンラベンダー”という純正色だという。それは路肩に咲いていた紫陽花(あじさい)と同じ色だった。

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下野康史

かばた・やすし 1955年、東京都生まれ。『カーグラフィック』など自動車専門誌の編集記者を経て、88年からフリーの自動車ライター。自動運転よりスポーツ自転車を好む。近著に『峠狩り 第二巻』(八重洲出版)、『ポルシェよりフェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)など。

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