松岡充さんキービジュアル
取材・文=平辻哲也(ENCOUNT)/ 撮影=荒川祐史/ ヘアメイク=戸倉陽子

松岡充の愛車は68年製のシボレー・コルベットC3「僕の分身」 衝撃の大炎上から奇跡の復活「クルマが守ってくれた」

愛車選びのポイントは「自分の心が震えるかどうか」…一人っきりの車内は“移動式クリエイティブ空間”

今年、デビュー30周年を迎えるSOPHIAのボーカリスト・松岡充さんの愛車は1968年製シボレー・コルベットC3。2004年、33歳のときに購入し、大切にしてきました。しかし、2020年8月にライブ会場へ向かう東京都内走行中に炎上し、ニュースにも大きく取り上げられました。そのC3が3年の歳月をかけて、完全復活。20台以上のクルマを乗り継いできた松岡さんがC3への思いを熱く語ってくれました。

目次

20年乗り続ける68年製のシボレー・コルベットC3
レストア総額は驚きの金額「2000万円は…」

シボレーコルベットの運転席から振り返る松岡さん

コルベットハンドル部分

エンジンルーム

愛車にもたれる松岡さん

――本日は撮影スタジオまでC3でお越しいただきました。本当に美しいクルマです。幌を上げて、フルオープンで走っている姿もお見かけしました。大変に目を引く存在ですね。

きょうも都内を走っていたら、外国人観光客の皆さんに写真を撮られて(笑)。皆さん、僕ではなくてクルマの方に目が行くんですよね。首都高なんか走ってると、助手席の人がみんなスマホでこのC3を撮ってます(笑)。で、面白いのが、譲ってくれて前に入れてくれるクルマが多いんですよ。後ろからじっくり見たいんでしょうね。もう“クルマだけ”見てるって感じです。僕には気づいてない(笑)。でも炎上以降は、やっぱり僕だってバレちゃうことも多くなりましたけど。

――コルベットC3はいつ購入されたんですか。

33歳の頃です。もう20年乗っています。

――どんな経緯で購入しましたか。

その前、28歳の時にシボレー・コルベットC5に乗ってたんです。そのC5に惹かれたきっかけが当時訪れたラスベガスのホテルでの出会いでした。衝撃的でした。フェラーリ・モデナとC5が同時に現れたのですが、圧倒的にC5の方に周囲の人々が皆盛り上がっていたんです。実際、僕もフェラーリよりコルベットの方がかっこいいなと思って。当時、日本ではカーディーラーも取り扱っていなかったので、個人輸入したくらいです。

――そこからどうしてC3に?

C2コルベットスティングレーのスプリット・リアウィンドウにすごく惹かれて、探していたんです。でも、(1963年のみ製造の)博物館級の希少車だったので、全然見つからなくて……。そんな中、C3を見つけて、「あ、これだな」と思いました。『コーラボトル』と言われるボディライン、アイアンバンパーがとにかくかっこいい。

C3はアポロ計画の宇宙飛行士たちが地球に戻ってきて乗っていたことを知って、ロマンがあるなと思ったんです。僕が大好きなデヴィッド・ボウイがアルバム『スペイス・オディティ』を発表したのも同じ時期。これは、もう買うしかないと思って。

――クルマはどんな状態でしたか?

程度の良いものをフレームオフ(ボディとフレームを切り離す)して、エンジンから足回りまですべて積み替えて、外見はなるべくオリジナルのままを意識して、タイヤやホイールは新しくしました。リア出しだったマフラーをエンジンからサイドに抜けるように改造しました。ボディカラーの青も調合してもらって、何回も塗り直してもらって、やっと出た色なんです。その当時リリースしたアルバム・タイトルでもあるのですが、「EVERBLUE号」と名付けたくらい、こだわりました。

購入してからじっくり時間をかけて納得のいく形に仕上げました。2004年がバンド結成10周年だったんですが、33歳になる自分へのご褒美も含めて、西武ドームの10周年記念ライブに間に合うように仕上げたんです。でも、納車された当日にオートマのオイルチューブが切れてしまって、オイル漏れで動かなくなってしまって焦りましたね。

――普段から頻繁に乗られるんですか?

いや、全然です。乗れたとしても3か月に1回くらい。年に5回も乗らないこともあるくらいです。たぶん、購入後、乗った回数は30~50回ぐらいじゃないかな。普段は、屋根付きのガレージで、カバーも保管しています。乗る時はちゃんと“特別な時間”として乗るのがこだわりです。ツアーファイナルや大切な節目のライブなど、必ずC3で会場入りするって決めてるんです。僕にとっての“儀式”みたいなものですね。

――それ以外にも、ふらっと出かけたりされるんですか?

本当に心が疲れてる時ですかね。今やらせてもらえている活動は、好きなことではあるけど、完成に向けての過程ではストレスも伴うんです。そんな時に、あのクルマに乗って藤沢や山梨の方までゆっくり走らせるんです。GG4っていうレース用のエンジンを積んでるのに、全開にはしない。あえて静かに走る。その“間”が、すごく癒やしなんです。静かに走らせながら風を浴びてると、ふっと気持ちが軽くなる。自分を元気にしてくれる存在なんです。このクルマのこんな瞬間があるから頑張れてる部分もありますね。

――今日は久しぶりにエンジンをかけられたそうですね。

1か月ぶりです。エンジンがかかるまで30分かかりました(笑)。たまにエンジンをかけてあげないと、バッテリーが上がっちゃうんですよ。“手のかかる子”という感じです。最初のベース車両は400万円くらいだったけど、そのあといろいろかけて……たぶん、総額で2000万円はかかっていると思います。

ツアー最終日に走行中のコルベットが大炎上!
ライブは無事開催も…「涙が止まらなくて」

――コルベットが炎上してしまった日は?

2020年8月、コロナ禍でのツアー中で、東京公演ファイナルの日でした。エンジンも問題なくかかって、暖機もして、エンジンの調子も良かった。「よし、行こうか」って駐車場を出たんです。でも、発進してほんの40秒くらい経ったときに、ふっと煙が見えたんです。

――煙というのは?

最初は「ちょっと湿気かな?」って思ったんですよ。季節的にも、朝イチのエンジン始動で白い煙が出ることってあるじゃないですか。クーラーのミストみたいな。でも、信号を曲がった時に「あれ?」って……煙が増えてきていて。

――その時の心境はどうでしたか?

「まさか……」とは思ってました。一応念のためにマネジャーに電話したんですけど、つながらなくて。次に「これはメカニックに」と思ったけど、日曜でつながらなかった……。で、もうこれは乗らないほうがいいだろうととっさに判断して、マネジャーに「戻ってきて」と電話しようとした……その時、ふとクルマを見たら、煙が黒く変わっていたんです。

――黒煙!

プラスチックとかビニールとか不燃性の素材が燃えているときの煙なんですよ。「あ、これヤバい」と思って、クルマを停め直してすぐに119番に連絡しました。「今、ハイオク満タンで70リッター入ってる状態です、しかも電車が走っている高架下にいます。爆発したら大変なことになります」って。

――その間、どうされてたんですか?

他のクルマを巻き込んじゃいけないと思って、自分で交通整理しました。100メートルくらい先に行って、誘導して……でも、どんどん人だかりができてくるし、みんなスマホで写真撮ってて。本当に大変でしたし、絶対に同じことを繰り返してはいけないと思いましたね。

――ライブには間に合ったんですか?

本番には間に合いました。オープニングSEの後、1曲目が始まった瞬間、涙が止まらなくて……。でも、言えないんですよ、誰にも。「僕の半身でもあるクルマが燃えました」なんて。気丈に振る舞うしかなかったですね。

――とてもショッキングな出来事だったと思いますが……。

今思うと「クルマが僕を守ってくれたんじゃないか」とも思うんです。もしこれが高速道路の走行中に起こってたら、煙で前も見えないし、もしかしたら僕、命を落としていたかもしれない。クルマって“物”なんですが、もう僕にとっては“分身”なんです。魂があると思うんです。巡り巡って出会って、時間を共にして、あんなことがあった。それでも信じてるし、信じたい。クルマとの絆って、そういうものだと思うんです。

――復活させるという気持ちは最初からあったんですか?

決めてました。たとえどんな姿になっても、いくらかかってもいいから、「絶対に戻す」って覚悟決めて。

――レストアにはどれくらいかかったんですか?

丸3年かかりました。コロナ禍だったのでパーツもアメリカから入ってこない、しかも全部手作業なんですよ。「ここにボルトを入れたらこっちが入らない」とか、そういう次元の繊細な作業なんです。原因は古い配線のショートではないか、と伺いました。エンジンは無事でしたが、運転席とFRPのボディは焼けてしまったので、焼けた部分は全部削り落として、パテで埋め直して、形を均一にして。色もまた一から調合し直しました。あの色、もう一回出すの、本当に大変でした。

クルマの中は“創作の場”
「まさに動くスタジオ」

振り返る松岡さん

――自動車免許はいつ取得されたんですか?

18歳のときです。高校を卒業して、自由登校期間に入ったタイミングで取りに行きました。バイトしながら通いました。とにかく早く欲しかったんですよ。「もう乗りたい!」っていう気持ちが強くて(笑)。最初に乗ったのは、親から譲り受けた日産スカイライン、いわゆる“ジャパン”ですね。すごくいいクルマでした。L型エンジンで、トルクはあるけど伸びがない。でも、なんかあの頃のクルマって独特の“味”があって、すごく好きでした。

――思い出に残っているエピソードはありますか?

いっぱいありますよ。よく止まるんですよ、あのクルマ(笑)。押しがけもしました。普通、押しがけなんて経験しないじゃないですか? でも僕、普通にやってました(笑)。マニュアルミッションだったからできたことですけど。若かったから、無茶もしました。免許を取って、自分のクルマでどこへでも行けるっていうのは、人生で初めて手に入れた“完全な自由”でしたから。

――ドライブ中はどのように過ごしされることが多いですか。

僕はボーカリストですけど、ひとりでスタジオ入ることって滅多にないんですね。でもクルマならできるんですよ。歌ったり、声出したり、曲を練ったり……。ひとりになれる“創作の場”です。まさに、動くスタジオですね。どこにでも行けるし、景色を変えながらインスピレーションが湧いてくる。まさに僕だけの移動式クリエイティブ空間です。

――これまで多数のクルマを乗り継いできた松岡さんのクルマ選びのポイントを教えて下さい。

クルマ選びは、国産も外車も、新旧問わず、いろんなクルマに乗って、見て、自分の心が“震える”かどうかで判断していました。どっちも良さがあるんですよ。古いものが好きって言うと、意固地な印象になるけど、僕は「アナログの良さ」も「最新の良さ」も知っていたい。両方を知ることで、世界が広がっていく気がします。実は、ほかにも、日産ではないダットサン・ブルーバードも買ったんです。

――5月31日からは主演ミュージカル『LAZARUS-ラザルス-』が開幕しますね。この作品はデヴィッド・ボウイの遺作(2015年に初演)で、今回が日本初演になります。

まだ稽古序盤ですが、「これはとてつもない作品になるぞ」と感じています。ボウイが自身の死を見据えて創った最後のメッセージでもあるわけですから。中途半端な気持ちで臨んではいけない、と強く思いました。もし自分が「あと半年の命」と宣告されたら、僕は作品なんて創っている余裕はないと思います。でもボウイは違った。命のカウントダウンを始めたと同時に、作品創りに向かった。その姿勢に、心底感動しました。とてもおこがましいのですが、僕も同じアーティストとして、これはもう、“誰かを演じる”というよりも、“自分自身で行く”という覚悟でこの作品に臨むしかないなと。役を作るんじゃなくて、松岡充のまま、舞台に立つ。それが、今回求められていることだと感じたんです。

――公演と並行して、ツアーも行われているそうですね?

同時進行でなんて、今までの僕なら絶対に選ばない。でも今回は違います。アルバム『ジギー・スターダスト』に出会わなければ、今の僕はなかった。デヴィッド・ボウイに憧れ、ロックスターになりたいと願った少年時代の自分に、今こそ応えたい。音楽は全編英語で歌うので、難しさはありますが、歌詞が全部伝わらなくても、音楽には“感情”がある。それを信じて歌っています。ボウイを知らない人にも、音楽の力、舞台の力、そして“生きる”ということの重みと美しさを感じてほしい。僕はこの作品を彼の“最後の手紙”だと捉えています。そんな作品を僕たちの体を通して日本で届けられること、本当に誇りに思っています。今はドライブ中にはデヴィッド・ボウイの曲ばかりを聴いています。

――ところでJAFには加入されていますか?

クルマによって違ったりもしますけど、入ったり抜けたりを繰り返してます(笑)。インフィニティに乗っていた頃にJAFを呼んだことがあって、そのとき「やっぱりプロは違うな」って思いました。動きが早いし、すごく対応が丁寧だった印象があります。JAFといえば、昔はグリルに付けるバッジでしたよね。あのバッジに憧れて、スカイライン ジャパンにも付けていました。できれば、あのバッジを復活させてほしいです(笑)。あと、道の駅などで使える会員特典もいいですね。

松岡充さんがドライブで聴きたい5曲

  • デヴィッド・ボウイ「Ziggy Stardust」…僕が“ロックスターになりたい”と思った原点は、ジギー・スターダストでした。今も車内ではずっとボウイを流しています。この曲は、生き方そのものへの憧れ。自分の原点であり、道しるべです。
  • シニード・オコナー「Nothing Compares 2 U」…この人の声は…僕じゃ絶対届かない。魂の叫びなんです。歌って、やっぱり女性のものだなって思わせてくれる圧倒的な存在感。ひとり車の中でこの曲を聴くと、自然と背筋が伸びます。
  • エラ・フィッツジェラルド「Mack the Knife」…『三文オペラ』で実際に歌った曲でもあるんですが、このジャズバージョンには特別な思い入れがあります。エラのスキャットやリズムに、自分の“音楽の芯”を整えられる感覚があるんです。
  • カーペンターズ「(They Long To Be) Close to You」…すごく“日本っぽさ”を感じる曲。メロディやコード進行が、自分の子供時代――80~90年代の日本の空気感と重なるんですよね。
  • ザ・モンキーズ「Daydream Believer」… “本物じゃない”と揶揄されたグループだけど、逆にその不完全さが魅力。まるでアメ車みたい。カッコいいけどちょっと不器用で、でも愛すべき存在。

(クリックすると、音楽配信サービスSpotifyで楽曲の一部を試聴できます。)

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サインを持つ松岡さん

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・プレゼント内容:松岡充さん特製サイン色紙
・当選者数:3名(発表は発送をもって代えさせていただきます)
・応募締切:2025年6月19日

  • オークションサイト、フリマアプリなどでの転売を禁止します。

松岡充

まつおか・みつる 1971年8月12日生まれ、大阪府出身。1995年にSOPHIAでメジャーデビュー。200曲以上にも及ぶ全楽曲を作詞、「街」をはじめ多くの代表曲を作曲。現在活動中のSOPHIAすべてのLIVE演出も担う。著名アーティストへの楽曲提供やプロデューサーとしてアーティストの作品も手掛ける。ドラマ・映画・ミュージカル・舞台の主演作を多く務め、俳優活動も23年目を迎える。主な出演作に、【主演舞台】『Change the World』(2024)、『Forever Plaid』(13、16、22)、『三文オペラ』(18)、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(14)、『ファンタスティックス』(12)、音楽劇『リンダ リンダ』(04、12)、『キサラギ』(09、10)、『Nine The Musical』(09)、『タイタニック』(07、09)、【主演映画】『TOKYOデシベル』(2017)、『御手洗薫の愛と死』(14)、『仮面ライダーW RETURNS 仮面ライダーエターナル』(11)【ドラマ】、『会社は学校じゃねえんだよ』(2018、21)、『山田太郎ものが・たり』(07)、連続テレビ小説『風のハルカ』(05)、『ラブ・ジャッジ』(03、04)、『恋は戦い』(03)、『人にやさしく』(02)など。

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