すごい先人に会いに行く 第9回
膨大な知識と、無限の想像力
●司馬遼太郎(1923~1996)

2017年01月12日 09:15 掲載

『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』をはじめとする歴史小説や、『街道をゆく』『この国のかたち』などの紀行集・エッセー集などを多数世に送り出した司馬遼太郎。作品のほとんどがベストセラー・ロングセラーとなり、没後20年を経た現在も、多くの人々に読み継がれている"国民作家"です。

17M23_senjin_01.jpg

写真=司馬遼太郎記念館。

司馬遼太郎、本名・福田定一は、1923(大正12)年、大阪市生まれ。大阪外語学校(後の大阪外大、現在の大阪大学外国語学部)蒙古語科を卒業。太平洋戦争では戦車部隊の小隊長として従軍し、栃木県で終戦を迎えました。日本の敗戦を機に、作家になろうと決意。戦後は産経新聞の記者として働きながら、小説やエッセーを書き始めます。ちなみに筆名は、「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者」が由来だそう。
1960(昭和35)年に、『梟(ふくろう)の城』で直木賞を受賞して作家生活に入り、91(平成3)年には文化功労者、93(平成5)年には文化勲章を受章しました。

17M23_senjin_02.jpg


司馬文学の特徴のひとつは、膨大な史料をもとに書かれること。「司馬遼太郎が作品を書き始めると、神田の古書街から関連史料がすべて消える」というエピソードもあったほどで、自宅には6万冊を超える蔵書がありました。
そんななかで独自の歴史観を構築した作家を、体感し、対話できる場所が、2001年11月に、東大阪市の自宅の隣にオープンした、「司馬遼太郎記念館」です。

17M23_senjin_03.jpg

「司馬遼太郎(福田)」の表札がかかった門を入ると自宅があり、前庭に面した書斎が、在りし日のままに残されています。その向かいには、司馬遼太郎が好きだったという雑木林風に作られた庭。そこを抜けると記念館の入口です。

17M23_senjin_05.jpg

17M23_senjin_06.jpg

庭からガラス窓越しに見学できる書斎。書棚には未完に終わった『街道をゆく-濃尾参州記』の資料が残されています。

17M23_senjin_07.jpg17M23_senjin_08.jpg

アーチ状の細いアプローチに沿って館内に入ると、目の前にはあっと驚く光景が!
残念ながら全貌の撮影はNGですが、それはこの記念館が、来館者それぞれに何かを感じ取ってもらうことを目的とした「感じる記念館」だから。まっさらな気持ちで、自分の目で、見て、感じ、司馬作品と、そして自分自身との対話を通じて、何かを考えることのできる空間を目指しているのだそうです。

17M23_senjin_09.jpg

記念館が発行する本『司馬遼太郎』の中で、設計者の安藤忠雄はこう書いています。
「建物に入ると、入り口から奥に行くに従い開口が制限され、闇の中に入っていくような構成となっている。来館者は、まずその薄暗い空間の奥で、ぼんやり光る白のステンドグラスに目を奪われるだろう。ステンドグラスを取り巻く空間は、三層吹き抜けの展示室であり、壁面の全てが書架によって覆われている。書架には、司馬さんが小説の執筆の手がかりとした膨大な量の本が収納される。
 司馬さんが背負ってきた蔵書に囲まれた暗闇に、ステンドグラスを通してかすかな光が入り込んでくる、この空間で、司馬文学を生み出した作家の精神世界を表したかった。」
そして、
「司馬さんは、行く先の見えない戦後日本の闇に、先人の偉業を通してこぼれおちてくるかすかな光を見出しながら、人々に希望を与えてきた。ステンドグラスには、大きさと形、そしてその表情の全てが異なるガラスがはめ込まれている。その不揃いのガラスは、日本人一人一人の、個人の持つ力を最後まで信じていた司馬さんの思いに応えるものであり、それを通して室内に差し込む不揃いの光は、司馬さんが求め、探し続けてきた人々の夢と希望を象徴するものである。」
と続けています。

その言葉どおり、静謐で、どこか敬虔な雰囲気さえ漂う展示室は、いつまでもそこにいたいと思わせる心地良さ。背筋が伸びるような程良い緊張感も漂い、まるで司馬遼太郎の頭の中にいるような気持ちにもなります。実際、一人で訪れて、長時間ここで過ごす若者も少なくないそうです。

前出の『司馬遼太郎』には、福田みどり夫人の、記念館開設に際してのこんな文章もありました。
「司馬遼太郎は自己を顕示することを、もっとも好みませんでした。無私であることと無欲であることを一番愛しました。(中略)
 当然、さまざまな方から記念館の話はきました。けれども私がしっかり決意したのは、一人の少年からの電話でありました。(中略)
 ぼくたちは友だち五人で司馬遼太郎研究会をつくっています。作品の半分まで読んだらぜひ先生に会いに行こうよ、といつも話しあっていました。ところが先生はもうおられません。どこに会いに行けばいいのですか。せめて記念館を作っていただいて、そこで先生とお話したいのです。」
この言葉に涙し、記念館の開設を決意したみどり夫人。多くの本を読み、各地を訪ね、生涯「日本とは何か」「日本人とは何か」を問い続けた司馬遼太郎は、自然を愛し、市井の人々を愛する人でもありました。

この記念館では、200人以上のファンや地域住民が、ボランティアとして運営に携わっています。また、命日2月12日の「菜の花忌」にちなんで、2月にはプランターの菜の花が、館内や周辺道路、街角を彩ります。

17M23_senjin_10.jpg

17M23_senjin_11.jpg

記念館の裏側に建つ「花供養碑」。司馬遼太郎直筆の歌が刻まれています。

日本が誇る大作家・司馬遼太郎。あなたも会いに行ってみませんか。

司馬遼太郎記念館
大阪府東大阪市下小阪3-11-18 ℡06・6726・3860

【開】10:00~17:00 (入館は16:30まで)

【休】月曜(祝日・振替休日の場合は翌日が休館)、
特別資料整理期間(9/1~10)、12/28~1/4

【料】大人500円、中・高校生300円、小学生200円

☆JAF会員証提示で、カフェ飲食代10%引き(会員のみ)

撮影=村上宗一郎