旧車 ランボルギーニを躍進させ、スーパーカーというカテゴリーを生み出した1960年代の傑作「ミウラ」

ランボルギーニといえば「カウンタック」というイメージが強い。しかし、忘れてはいけないのが、先代モデルの「ミウラ」だ。この「ミウラ」によってランボルギーニの名はスーパーカーコンストラクターとして世に知られたのである。その立役者となった名車に迫る。

2019年05月17日 02:59 掲載

JAFメディアワークス IT Media部 日高 保

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

ランボルギーニ「ミウラ P400S」。1966年に登場した初期モデル「ミウラ P400」のエンジン強化版で、1968年に登場した。「オートモビルカウンシル2019」主催者展示ブースにて撮影した。

 「ミウラ」は、1963年に創業したランボルギーニが、66年のジュネーブショーでデビューさせた3車種目の市販車だ。ランボルギーニが躍進するきっかけとなった傑作であり、"元祖スーパーカー"とも呼ばれる、世界の自動車史において外せない名車である。

 創業者フェルッチョ・ランボルギーニがおうし座の生まれであることが理由とされるが、同社は闘牛をエンブレムにあしらったり、闘牛に関連する名称を車名にしたりすることが多い(「カウンタック」のように闘牛とは関係のない車種もある)。「ミウラ」はまるで日本人の姓のように聞こえてしまうが(スペルも「miura」)、スペインの闘牛の飼育家として名の知られたドン・アントニオ・ミウラにあやかったネーミングとされている。

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

曲線美を誇る名車は数あるが、「ミウラ」も間違いなくその代表的な1台。

「ミウラ」をなぞればスーパーカーになる!

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

1070mmとも1030mmともいわれる「カウンタック」には及ばないが、全高は1100mmの「ミウラ P400S」。初期モデル「ミウラ P400」は1055mmという、「カウンタック」よりも全高が低いとするデータもある。

 「ミウラ」は、新興メーカーであるランボルギーニの名が自動車業界に轟くほど、革新的な要素を備えていた。何しろ「ミウラ」によって、スーパーカーという新しいジャンルが生まれたとされるほどである。

 スーパーカーとは明確にその定義が決まってはいるわけではないが、「ハイパフォーマンスかつ特徴的なデザインを備えたスポーツカー」であることは間違いないだろう。そのハイパフォーマンスを実現するための条件のひとつが、「高性能な大排気量・多気筒エンジン」だ。ミウラの場合は、排気量3929ccのV型12気筒が搭載された。最高出力350馬力・最大トルク37.6kg-mである。

 そしてハイパフォーマンスを実現する別の要素として、"優れたハンドリング"が挙げられる。それを実現する要素のひとつがエンジンのマウント位置だ。この時代、大排気量・多気筒エンジンをフロントやリアにマウントしているハイパフォーマンスカーは多数存在したが、「ミウラ」が選んだのはリアミッドシップ。それも横置きにしたことから、もはやレーシングカーそのものというような構成だったのである。

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

リアはルーバー状の構造が採用されており、リアビューはその隙間からのみ。ランボルギーニはリアビューがないに等しいのは現行車種まで続く伝統。

 「ミウラ」の登場で、大排気量・多気筒エンジンをリアミッドシップに配置し、空力的にも優れた特徴的なエクステリアを持たせたスポーツカーであれば、それは自動的にスーパーカーになるという図式が完成(※1)。このことから「ミウラ」は"元祖スーパーカー"といわれているのである(※2)。そして新興メーカーだったランボルギーニは、「ミウラ」によってスーパーカーコンストラクターとして認識されるようになっていった。

※1 特徴的なエクステリアデザインと、リアミッドシップのハイパフォーマンスなスポーツカーであればスーパーカーということであり、リアミッドシップ以外のエンジンマウント方式を採用したスーパーカーも多数ある。
※2 「ミウラ」以前の何車種かをスーパーカーの元祖とする説もある。

若き日のダラーラが手がけたシャシー

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

シャシーには、後にレーシングカー・コンストラクターとして大成するジャンパオロ・ダラーラが手がけた開発コードネーム「P400」が採用されている。

 エンジンをリアミッドシップかつ横置きにしたことは革新的だったが、実は"結果としてそうなった"のが正しいようだ。「ミウラ」がそのような方式となったのは、本来はレース用として開発していたコードネーム「P400」と呼ばれるシャシーを採用することにしたからである。

 「P400」シャシーを開発したのは、後に独立して世界トップクラスのレーシングカーコンストラクターを立ち上げることになるジャンパオロ・ダラーラ。ダラーラは1960年代、才能ある若手エンジニアとしてランボルギーニに所属しており、野心家のフェルッチョ・ランボルギーニによって「ミウラ」のチーフエンジニアに選ばれ、革新的な要素を備えたクルマを開発するよう命じられたのだという。

 ダラーラは当初、レースに参戦するため、最新のレーシングカーテクノロジーを取り入れた「P400」を自主的に開発していた。しかし、フェルッチョ・ランボルギーニがレースへの参加を承認せず、市販車に利用するよう命令。その結果、「ミウラ」への同シャシーの採用となった。「ミウラ P400」の「P400」は、このシャシーに由来するのである。

夢のコラボが実現していた!? ジウジアーロとガンディーニがデザインで合作!

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

フロントからは曲面が目立つデザインだが、リアは直線的であったり鋭角的であったりする部分があり、雰囲気がまた異なる。

 「ミウラ」をスーパーカーたらしめている要素のひとつが、流麗なエクステリアデザインだ。その誕生には、世界的な知名度を有したデザイナーがふたりも参加している。「ミウラ」のエクステリアは、イタリアのカロッツェリア・ベルトーネが担当。デザインが始まったときに同社のチーフデザイナーを務めていたのが、後にインダストリアルデザイナーの巨匠として評されることになるジョルジェット・ジウジアーロだった。

 しかし、ジウジアーロは「ミウラ」の開発中に同じくイタリアのカロッツェリア・ギアへと移籍。そこで後任のチーフデザイナーとして抜擢されたのが、ジウジアーロと同い年のマルチェロ・ガンディーニだった。ガンディーニは、「ミウラ」のあとに「カウンタック」を手がけた天才デザイナーである。

 この状況のため、「ミウラ」のデザインは誰によって生み出されたのか判然としない状況となっている。ガンディーニがデザインしたという資料もあるが、タイミング的には、ジウジアーロも関わっていたのは確実なはず。ジウジアーロ本人の「7割ほど完成させてから辞した」という発言を掲載している資料もあり、「原案がジウジアーロ、ガンディーニがフィニッシュ」という、"結果として合作になった"のが正解のようだ。

 どちらにしろ、世界的な知名度のあるイタリア人天才デザイナーが同い年であり、どちらも20代でチーフとして名車「ミウラ」のデザインに関わったというところに、同国の奥の深さを感じてしまうところである。

ランボルギーニ ミウラ P400S|lamborghini miura p400s

真後ろから見ると、ルーバー状の構造を通して、わずかながら前方が見える。リアビューが確保されているというよりは、リアから光が入ってくる、というレベルである。

 「ミウラ」は、初期モデル「P400」が474台生産。そして、1968年に20馬力アップしたマイナーチェンジモデル「P400S」が登場し、140台が生産された。ちなみに同年には、オープントップモデル「P400ロードスター」も登場している。そしてエクステリアの一部が変更され、馬力もさらに15馬力アップした最終モデル「ミウラ P400SV」が1971年に登場。150台が生産されてその約1年後に生産終了した。


 ダラーラ、ジウジアーロ、ガンディーニと、イタリアを代表するそうそうたる顔ぶれが若き日に手がけた「ミウラ」。複数の才能の結実であることを考えれば、元祖スーパーカーと評されるのも納得できるところだろう。こうしたスーパースターたちが開発に携わったことも、「ミウラ」の魅力なのである。

【「ミウラ P400S」スペック】
全長×全幅×全高:4390×1780×1100mm
ホイールベース:2500mm
トレッド:前後共に1420mm
車重:1180kg
サスペンション:前後共に独立懸架式ダブルウィッシュボーン
ブレーキ:前後共にディスク

【エンジン】
種類:バンク角60度V型12気筒DOHC(ミッドシップ横置き、リア駆動)
キャブレター:4個(ウェーバー製「401DL-3L」×4)
排気量:3929cc
最高出力:370ps/7700rpm
最大トルク:39.5kg55-m/00rpm
最高速度:時速280km