長尾智子のお菓子風土記 第7回
花の町に甘く香る梅の花
●香雪(こうせつ)

2017年05月12日 18:19 掲載

201706.png

水戸と聞いて、誰もがまず頭に浮かぶのが梅でしょう。偕楽園の梅、知られたお菓子の梅、それに加えて、昔からドラマで有名な、助さん格さんを従えた水戸光圀公のイメージでしょうか。
もし水戸城が残っていたら、そこにも梅がたくさん植えられていたのか? とにかく、水戸は梅の香が漂う町と想像します。
たくさんあるお菓子屋さんの中でも「鉢の木」は、先代が60年ほど前に開いたお店。創業者の荒井仁さんは、水戸出身で東京の大学に行ったものの、卒業後はもともと好きだった料理やお菓子の修業を続けたそうです。
「鉢の木」と聞くと、東京出身の私にとってはなじみの和菓子の名店ですが、先代の最後の修業先がその鉢の木で、店名に使うことを許されたと聞くと、独立するにあたって菓子作りの腕を認められたことがわかります。
水戸の鉢の木のお店は、千波湖の北側、さらに北に入ると水戸芸術館があるという立地です。どなたでもどうぞ、という感じの開放された店先に、お菓子の名前が書かれた札がたくさん下がり、棚に箱が並ぶという、何やら期待感が高まる賑やかさ。これは、先代の修業先の昔の風景にも似ているようです。さて、お菓子を見ていくと.....。私が訪ねたのは春先の梅も終わりの頃。和菓子が華やかな色合いになっていく時期でしたが、ここにはそんな気配もなく、茶色いお菓子が並んでいます。

  • 17M06okashi_01.jpg
  • 17M06okashi_02.jpg

17M06okashi_03.jpg

鉢の木の看板商品は、まず「梅吹雪」と名付けられた最中です。梅の花をかたどった大小の最中のあんは4種類。大きいサイズはこしあんと栗あん。小さい方はつぶあん2種類で、大納言と白手亡(いんげん)。最中の皮はこんがりと焼かれ、栗あんだけは真っ白な姿をしています。

17M06okashi_04.jpg

最中をいつ食べるか?については好みが分かれるところですが、たとえばどら焼きもデパートの催事などで焼きたてを売るのを見かけることがあるし、焼きたて、出来たてが好きな日本人にとっては、魅力的にも感じます。最中の皮とあんが別々にしてあって、食べる時に自分で挟むアイデアなどもいかにも日本人的。ぱりっとした皮の美味しさは新鮮です。
その一方、時間をおいて皮とあんとが一体となった最中の美味しさも捨てがたいもの。本来の食べごろといいますか、挟みたては最近の傾向で、実はしっとりと落ち着いた状態は最中本来の食べごろでしょう。
好みで選べばいいことなので、こだわる必要はないかもしれませんが、そもそも原材料の種類が少なく単純なのが和菓子ですから、そんなあんこの甘さや風味を引き立て、あんこを和菓子に完成させる皮の役割を考えると、やはりしっとりと馴染んでいてほしい気がします。
それを2代目ご主人・関貴之さんに質問すると、先代は夕方に皮で挟んで翌日食べるのが美味しいと言っていたそう。確かに、あんの湿気が皮に移って一体となるには時間が必要です。ちなみに、挟んでから3~5時間くらいでは、歯切れが悪いわりにしっとりとはしていないという、中途半端な状態だそう。最中の食べごろなどあまり考えないかもしれませんが、丁度いい頃合いというのは確かにありそうです。
 鉢の木の「あん」は、控えめな甘さではなく、かといって甘すぎずのピンポイントで計算して定めた、甘さと風味のような気がします。これは、鉢の木のお菓子全体を見渡すと納得できることで、あれもこれもと和菓子の種類を網羅していれば多少は違うのかもしれませんが、そうでないだけに「決めの一手」が不可欠なのかもしれません。
お菓子の難しいところは、「決めていること」があからさまにわかると少々いやらしく感じ、どんなに洗練された姿形をしていても野暮ったい。つまりは、作り手の意図するところをどう感じさせるかに尽きる、というわけで、それは最中一つとっても同じことです。素人目には、個性を出しにくいように感じるあまりにおなじみの和菓子は、尖ったところ、変わった組み合わせなどではなく、自然と食べきって満足する「美味しい」という一言に集約しているのが最上なのではないかと、この梅形の最中を食べながら感じました。
極めて単純で原点でもある素直な「美味しい」は、けっこう難しいことなのです。
ご主人は、すでに亡くなった先代の作っていたお菓子を何とか作り続けることで精一杯、とおっしゃいます。忠実に、また誠実に作り続けているからこそのお菓子の佇まいだと感じました。

→次ページ:素朴さと品の良さを併せ持つ「香雪」