2019年10月15日 17:00 掲載

クルマ 60年前に始まったホンダのF1活動。「RA272」や「MP4/4」など、第1~4期のマシンで振り返る

10月11日(金)から13日(日)まで、F1日本GPが開催された。ホンダがこれまでに開発したF1マシンのうち、1960年代の第1期、1980~90年代前半の第2期、2000年代の第3期、そして現在進行形の第4期から合計18台を集めてみた。マシンを通して、約60年におよぶホンダのF1活動を見てみる。

神林 良輔

16戦15勝という、第2期で最高の成績を残したマクラーレン・ホンダ「MP4/4」。アイルトン・セナが乗った12号車。モータースポーツジャパン2007にて撮影。

 ホンダは第1期として1964年から1968年まで、第2期として1983年から1992年まで、第3期として2000年から2008年までF1に参戦。会社の経営状況や目的を達成したことなどを理由に各期それぞれ活動を休止したが、2015年からは第4期として活動を再開。現在も参戦中だ。

 このうち、第1期と第3期の後半はフルワークス体制で自らがマシン(シャシー)とエンジンの両方を製作。そして第2期と第3期の前半は、サプライヤーとしてエンジンをコンストラクターに供給した。現在進行形の第4期は、エンジンに回生システムを搭載したパワーユニットのサプライヤーとして参戦している。

 ホンダが開発したすべてのF1マシンおよびエンジン/パワーユニットには必ず頭に「RA」のアルファベット2文字がつけられているが、これは「Racing Automobile」の略である。ホンダはバイクからスタートしたため、F1に初参戦したときに区別するためにつけることにしたのだという。それに続く3桁数字は、車両やエンジン、または参戦時期により異なるため、後ほど説明する。今回は数多くのマシンの中から、第1期から3台、第2期から4台、第3期から6台、そして第4期からは4台+1台の合計18台を紹介する。

F1エンジン ホンダ V10 RA109E 1989年|F1 Engine Honda V10 RA109E 1989

ホンダのメカニックの合間から見えるのは、1989年のマクラーレン・ホンダ「MP4/5」に搭載されたホンダのNA(自然吸気)V10エンジン「RA109E」。エンジンには必ず型番の末尾に「E」がつけられた。V10エンジンは片側5気筒ずつのエキゾースト・マニホールドをひとまとめにする必要があり、取り回しが難しいとされていた。モータースポーツジャパン2009にて撮影。

ホンダのF1初優勝を飾った「RA272」(1965年)

F1 ホンダ RA272 11号車(リッチー・ギンサー)1965年|F1 Honda RA272 No.1 Richie Ginther 1965

ホンダ「RA272」(11号車ドライバー:リッチー・ギンサー)・モータースポーツジャパン2019にて撮影
全長×全幅×全高:未公表、ホイールベース:2300mm、トレッド:前1350/後1370mm。車重:498kg。モノコックおよびボディ:サブフレーム付きアルミ製。サスペンション:前後共ダブルウィッシュボーン。燃料タンク容量:180L。
「RA272E」エンジン
排気量:1495cc、種類:水冷4ストローク横置き60度V型12気筒DOHC4バルブ(ギア駆動)、最高出力:230ps以上/1万2000rpm、重量:215kg(ホンダ製6速ミッション含む)。

 ホンダは1960年にF1を目指すことにし、1962年にプロトタイプのRA270を完成させる。RAの後に続く3桁数字は、目標とする270馬力を意味していた。そして1964年の第4戦西ドイツGPに日の丸カラーを背負ってRA271でF1にデビューを果たしたのだった。苦戦が続くも、翌65年の最終戦メキシコGPで「RA272」により初優勝を達成。RA271での経験を活かし、徹底的な軽量化を行った結果だった。

 上画像は初優勝を遂げた「RA272」の展示用モデルだ。この時代のF1マシンは前後のウイングもなく、フロント部分がエアインテークになっており、リアサスペンションもむき出し、ボディの形状もハマキ型で、現代とは大きく異なるスタイルだった。「RA272」の特徴は、スペースフレーム全盛の時代にいち早くアルミ製のモノコックを採用したこと。また、V12エンジンを横置きするというほかにはない特徴も備えていた。この時代ですでに最高速度は時速300kmを超えていたという。

最高速は時速350kmを超えた「RA273」(1966年)

F1 ホンダ RA273 1966年|F1 Honda RA273 1966

ホンダ「RA273」(18号車ドライバー:リッチー・ギンサー)・ホンダウェルカムプラザ青山にて撮影
全長×全幅×全高:未公表、ホイールベース:2510mm、トレッド:前1550/後1485mm。車重:650kg。モノコックおよびボディ:アルミ製。サスペンション:前後共ダブルウィッシュボーン。燃料タンク容量:240L。
「RA273E」エンジン
排気量:2993cc、種類:水冷縦置き4ストローク90度V型12気筒DOHC4バルブ(ギア駆動)、最高出力:420ps以上/1万1500rpm、重量:200kg(ホンダ製5速ミッション含む)。

 1966年はエンジンの排気量が1500ccから3000ccに大きく変更され、どのチームも混乱する1年となった。ホンダは1965年は「RA272」の開発に全力を注いだため、上画像の「RA273」の開発は1966年に入ってからとなってしまった。そのために参戦に出遅れてしまい、F1に参戦できたのは全9戦のうちの第7戦イタリアGPになってからだった。

 「RA273」の基本構造はプロトタイプRA270から踏襲されており、外見も当時の一般的なハマキ型だ。前年のRA272と比較するとホイールベース2300⇒2510mm、トレッド前1350/後1370mm⇒前1550/後1485mmと大型化し、重量もその分増えている。新開発の「RA273E」エンジンはバンク角90度を持ち、マシンへのマウントは横置きから縦置きに変更された。400馬力以上のパワフルなエンジンにより、「RA273」の最高速度は時速350km以上となった。

第1期最高傑作といわれる「RA301」(1968年)

F1 ホンダ RA301 5号車(ジョン・サーティース)1968年|F1 Honda RA301 No.5 John Surtees 1968

ホンダ「RA301」(5号車ドライバー:ジョン・サーティース)・モータースポーツジャパン2007にて撮影
全長×全幅×全高:未公表、ホイールベース:2410mm、トレッド:前1440/後1400mm。車重:530kg。モノコック:マグネシウム製、ボディ:アルミ製。サスペンション:前後共ダブルウィッシュボーン。燃料タンク容量:200L。
「RA301E」エンジン
排気量:2993cc、種類:水冷縦置き4ストローク90度V型12気筒DOHC4バルブ、最高出力:440ps以上/1万1500rpm、重量:未公表。

 ホンダのF1活動最終年となった1968年のマシンが上画像の「RA301」だ。"RA275"でない理由は、前年1967年にマシン開発の体制が大きく変わったことに理由がある。シャシーの軽量化で苦戦したホンダが、シャシー・コンストラクターのローラ・カーズに協力を要請。ホンダ純正でなくなったことから、当時の中村良夫チーム監督が"RA274"ではなくRA300と命名したのだ。そしてRA300は、1967年の第9戦イタリアGPでデビューウィンを奪取。2位とのタイム差は、当時の記録となる0.2秒という僅差だった。

 それを引き継いだ1968年のマシン「RA301」は、突貫で開発されたRA300ではできなかったことを盛り込んでおり、第1期のマシンの中では群を抜く完成度といわれる。モノコックには軽量化のためにマグネシウムを採用し、フロントノーズのフィンやハイマウントのリアウイングなど、空力デバイスも装備。「RA301E」エンジンは440馬力を絞り出し、「RA301」はジョン・サーティースのドライブにより、ホンダ初の予選ポールポジションを獲得。しかし、決勝では惜しくも2位が最高位だった。このシーズンでホンダは翌年のRA302も同時に開発を進めていたが、撤退を決定。第1期は通算2勝、5年をもって終了した。

第2期の快進撃の第一歩となったウィリアムズ・ホンダ「FW09」(1984年)

F1 ウィリアムズ・ホンダ FW09 6号車(ケケ・ロズベルグ) 1984年|F1 Willaims Honda FW09 No.6 KeKe Rosberg 1984

ウィリアムズ・ホンダ「FW09」(6号車ドライバー:ケケ・ロズベルグ)・モータースポーツジャパン2019にて撮影
全長×全幅×全高:未公表、ホイールベース:2667mm、トレッド:前1803/後1626mm。車重:540kg。モノコックおよびボディ:アルミハニカム製。サスペンション:前ダブルウィッシュボーン/後ロッカーアーム+ウィッシュボーン。燃料タンク容量:220L。
「RA164E」エンジン
排気量:1496cc、種類:水冷80度V型6気筒DOHC4バルブ+ツインターボ、最高出力:660ps以上/1万1000rpm、重量:未公表。

 1980年代、F1にエンジンサプライヤーとして復帰する道を選択したホンダは、既存のコンストラクター(チーム)とタッグを組む前に、ノウハウの収集を試みる。そこで自ら出資し、1982年に創設したのがスピリットというコンストラクターだ。同年はF2に参戦し、1983年にスピリット・ホンダとしてF1に復帰した。

 そしてホンダは1984年になると、ウィリアムズとコンビを結成し、上画像のウィリアムズ・ホンダ「FW09」が誕生(第1戦ブラジルGP出場車)。ボディにアルミハニカム・モノコック構造を採用することで、車重540kgという軽量化を達成していることなどが特徴だ。ただし「FW09」は、前年のFW08を踏襲したことなどもあり、当時としてもやや旧式のコンセプトのマシンだった。そして搭載するエンジンは「RA164E」。3桁数字は、1がF1を、6が気筒数を、4は1984年を表していた。「FW09」は、第9戦アメリカGPにてケケ・ロズベルグの手により第2期初優勝を達成。ホンダが最強のエンジンサプライヤーとしてF1を席巻する第一歩となった。

セナが世界王座を初戴冠したマクラーレン・ホンダ「MP4/4」(1988年)

F1 マクラーレン・ホンダ MP4/4 12号車(アイルトン・セナ) 1988年|F1 McLaren Honda MP4/4 No.12 Ayrton Senna 1988

マクラーレン・ホンダ「MP4/4」(12号車ドライバー:アイルトン・セナ)・モータースポーツジャパン2007にて撮影
全長×全幅×全高:未公表、ホイールベース:2875mm、トレッド:前1824/後1670mm。車重:540kg。モノコックおよびボディ:カーボンファイバー・アルミハニカム・コンポジット製。サスペンション:前ダブルウィッシュボーン+プルロッド/後ダブルウィッシュボーン+プッシュロッド。燃料タンク容量:未公表。
「RA168E」エンジン
排気量:1496cc、種類:水冷80度V型6気筒DOHC4バルブ+ツインターボ、最高出力:685ps(回転数未公表)、最高回転数:1万2300rpm、重量:未公表。

 1.5Lターボエンジン最後のシーズンである1988年、ホンダは新たにマクラーレンとコンビを結成し、上画像の「MP4/4」が誕生した。同車は、公称685馬力という「RA168E」エンジンのパワーを受け止められる性能を有し、そしてアイルトン・セナとアラン・プロストという希代の名手を得た結果、16戦15勝を達成。そして火花散るチームメイト対決を制し、セナが上画像の12号車によって自身初の世界王座を獲得した。

 ホンダのターボエンジンが無敵といわれた理由は、実はF1からのターボの締め出しによって逆に助けられたところがある。1986年時点で、無制限のブースト圧(実質7バール)により1500ccのターボエンジンでほぼ1500馬力という驚異的なパワーを引き出していたターボエンジンは、F1を統轄するFIAに危険と判断され、ターボは1988年までとなる。しかも1988年はブースト圧を2.5バールに制限され、燃料も従来より45Lも減らされた150Lという厳しい燃費条件も課せられた。しかし結局のところこれに対応できたのは、低燃費ターボ技術を開発していたホンダだけで、ほかのターボエンジンはまったく対抗できなかったのである。

NA元年・V10エンジンを搭載したマクラーレン・ホンダ「MP4/5」(1989年)

F1 ホンダ MP4/5 1989年|F1 Honda MP4/5 1989

マクラーレン・ホンダ「MP4/5」(2号車ドライバー:アラン・プロスト)・モータースポーツジャパン2009にて撮影
全長×全幅×全高:未公表、ホイールベース:2896mm、トレッド:前1820/後1670mm。車重:500kg。モノコックおよびボディ:カーボンファイバー・アルミハニカム・コンポジット製。サスペンション:前ダブルウィッシュボーン。燃料タンク容量:未公表。
「RA109E」エンジン
排気量:3490cc、種類:水冷72度V型10気筒DOHC4バルブ、最高出力:685ps/1万3000rpm、重量:未公表。

 上画像は、冒頭で紹介した1989年のNA・V10エンジン「RA109E」を搭載した、コンビ結成2年目となるマクラーレン・ホンダの「MP4/5」(エンジン始動のため、カウルを外して調整しているところ)。ターボの終焉とともにそのアドバンテージを失うと目されもしたが、結局のところNAになってもホンダは最強で、「MP4/5」は"ホンダエンジンのパワーを活かす"というコンセプトで開発された。2年目のセナとプロストのコンビで「MP4/5」も16戦中10勝を挙げ、ドライバーズとコンストラクターズのダブルタイトルを2年連続で獲得した。しかし前年のMP4/4が16戦15勝だったことから、苦戦したと見なされてしまうことも多く、偉大な先代を持ったがための苦労を背負ったマシンでもあった。

 「MP4/5」から始まったホンダのV10エンジンは、少し変わった道のりをF1界で歩むことになる。ホンダは最終的な開発目標をV12に設定しており、実際に1991年に「RA121E」デビューさせ、マクラーレン・ホンダMP4/6に搭載。しかし同時にV10の開発も継続し、中嶋悟が現役最後に乗ったティレル020にRA101Eが搭載されたのだ。同じエンジンを複数チームに供給するのは2019年現在も普通に行われているが、性能差があるどころか気筒数が異なるエンジンを1チームずつ供給というのはなかなかない。さらにV10エンジンは、ホンダの第2期最後となる1992年に無限によって新たな生を受ける。RA101Eをベースに、無限が独自にV10エンジンMF351Hを開発。そして1992年からホンダが第3期を開始する2000年までの間にリジェやジョーダンなど、複数のチームに搭載され、通算4勝を挙げる活躍を見せることとなった。

最強のV12エンジンを搭載したマクラーレン・ホンダ「MP4/7A」(1992年)

F1 マクラーレン・ホンダ MP4/7A 1号車(アイルトン・セナ) 1992年|F1 McLaren Honda MP4/7A No.1 Ayrton Senna 1992

マクラーレン・ホンダ「MP4/7A」(1号車ドライバー:アイルトン・セナ)・「2009年 鈴鹿F1GP再開記念 鈴鹿F1GP写真展」(ツインリンクもてぎ・ホンダコレクションホール)にて撮影
全長×全幅×全高:4496×2120×990mm、ホイールベース:2974mm、トレッド:前1824/後1669mm。車重:506kg。モノコックおよびボディ:カーボンファイバー・アルミハニカム・コンポジット製。サスペンション:前後共ダブルウィッシュボーン+プッシュロッド。燃料タンク容量:未公表。
「RA122E/B」エンジン
排気量:3496cc、種類:水冷75度V型12気筒DOHC4バルブ、最高出力:774ps以上/1万4400rpm、重量154kg。

 上画像の「MP4/7A」はマクラーレン史上初となるハイノーズ車で、平らなノーズの前年までのマシンと比較すると細く高く見える。また、モノコックの成形方法も大きな変更があり、それまで一貫して採用されてきたオス型からメス型に切り換えられた。システム面では、ホンダとマクラーレンで共同開発した電子制御スロットルシステム(フライ・バイ・ワイヤー・システム)をF1界で初めて搭載。シーケンシャルシフトが一般的だった当時のF1で、初めてボタンのワンプッシュで連続的なシフトダウンを可能としたのである。

 ホンダは1991年からはV12エンジンを実戦投入。1992年は第4戦までRA122Eを使用した後、第5戦サンマリノGPからは改良型の「RA122E/B」にスイッチした。バンク角を60度から75度に変更し、全高も20mm下げたほか、いくつもの新技術を採用した「RA122E/B」は当時、最強のV12エンジンといわれた。しかし、時代はマシンのトータルパッケージの戦闘力に優れていて初めて勝てる時代に入っていた。リアクティブサスペンションを初めとするハイテク装備をまとったウィリアムズ・ルノーFW14Bとそれを駆るナイジェル・マンセルに大きく後れを取り、マクラーレン・ホンダはダブルタイトル5連覇を阻まれ、そしてセナも4度目の戴冠も逃すことに。そして、ホンダはこの年を限りにF1第2期の活動を終了。ホンダは第2期の10年間で69勝を挙げ、通算71勝とした。

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続いては第3期のマシンたち!

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