飯館村ワンニャン給餌ボランティア=福島県飯館村周辺
被災地に残された命をつなぐ

 東日本大震災に端を発した福島第一原発の事故後、原発から20余kmに位置する福島県飯館村は計画的避難区域に指定され、全村民が村外へ避難しなければならなくなった。そして、避難期限の1か月後、住民がいなくなった村に残されたのは飼い犬と飼い猫だった。もちろん、残したくて残したわけではない。同村の避難先は動物の飼育が禁止のため、やむなく残すしかなかったのである。飼い主にとって、それがどれくらい辛いことであったかは、想像に難くない。

 最初の1年間で、命を落とした動物たちは少なくなかったようだ。日中の帰宅は許されているが、高齢化が進んでいることもあり、すべての飼い主が毎日食料をやりに帰村できるわけではない。せめて飢えないよう、飼い主は大量の食料を置いていくが、自然豊かな同村はたぬきや猿、野鳥など野生の動物も多く、食べられてしまうことも多い。住民がいなくなったことで、野生の動物たちもまた飢えて食べ物を探しているのだ。冬の寒さも厳しい。氷点下になると、水が氷って飲むことさえできなくなる。この地域の多くの犬は、番犬として外飼いに慣らされているとはいえ、それでも厳しい環境。まして体力で劣る飼い猫には、単独では生きていくのが難しい状況と言える。

犬は、人の姿を見ると飛び出してくることが多いが、このワンちゃんは怯えているのか竹藪に隠れた。

食べ物を置いてしばらく隠れていたら子猫が顔をだした。犬と違って猫はなかなか姿を現さない。給餌作業中に出てくれば、美味しいウェットフードを食べることができるのだが……。

人なつっこいだけに、孤独な環境におかれた犬の寂しさは相当らしい。日比さんが顔を出すと、よろこぶ、よろこぶ。

 それでも、動物たちの多くは、今も頑張って生き続けている。その命をつないでいるのが給餌ボランティアの人たちだ。「僕らが行くことで、助けられる命があるんです」と言うのは、福島県郡山市に住む給餌ボランティアの日比輝雄さん。日比さんは、食料や水、清掃道具などを車に満載し、ときには一人で、ときには奥さまの優子さんと一緒に、ほぼ毎日飯館村に通い続けている。往復の走行距離は200kmを越えるといい、この長距離の運転が何よりも大変だそうだ。

 給餌ボランティアとして日比さんが行うのは、村内に残された飼い犬、飼い猫を訪れ食料と水を補給し、健康状態を確認し、時には散歩をさせて、必要であれば小屋周りの掃除を行うことだ。また、これ以上、不幸な動物たちを増やさないよう去勢・避妊処置も手伝う。猫の通り道などに捕獲用の網を置いておき、処置の終わっていない猫がかかると獣医師のもとへつれていき、翌日同じ場所に放す。さらに、帰村中の住民の人と会えば、ボランティア作業の承諾をもらったり、最近の犬や猫たちの様子を伝えて情報交換を行う。村の人たちとのコミュニケーションは、このボランティアに欠かせない仕事のひとつだ。ちなみに、住民の人に不在時の給餌活動の承諾を訪ねると、ほぼ全ての人が快く承諾してくれるという。

毎日は来られないので、ドライフードを大量においていく。野生のたぬきや猿、ねずみなどが狙うので、いろいろ工夫はしているものの、それでも食べられるという。

犬を、複数飼っている家もある。ひとりぼっちよりは良いかもしれない。

避妊/去勢手術につれて行くためには猫を捕まえる必要がある。そのための捕獲器。なかなか捕まらない猫もいるが、避妊/去勢は徹底しないと意味がない。

 広い村内で、犬と猫が残されている場所は200か所を越えるそうだ。日比さんはすべての場所を確認し、覚えているという。ただ、一日に回れるのは多くても30か所のため、本当にボランティアを必要としている動物たちを助けられるよう、常に優先順位を考えているという。現在、ほぼ毎日通っているのは日比さんだけだが、定期的に通っている給餌ボランティアが十数グループあり、最近は、日比さんと連絡をとりあうことで効率が上がっているという。

外の様子を窺う猫。犬よりも小さく弱い猫は、野生動物との争いでも不利。そのせいか、怯えた雰囲気の猫も多かった。

それでもフードがあると、空腹なのか、周りを警戒しながら顔をだす。

日比さんが現れると、尻尾をプロペラのように回して大喜び。しかし、1か所に長くは滞在できない。帰るときの追いすがってくる顔を見るのがつらいという。

 日比さんが給餌ボランティアを始めたきっかけは、自身が阪神大震災の被災者であり、その際にペットの救済が必要なことを痛感し、また実際にボランティアに助けられたからだ。飯館村で給餌ボランティアを始めた当時、日比さんはまだ神戸在住。月に約2回、電車で通い、現地でレンタカーを借り、すでに給餌ボランティアを行っている人たちに話を聞きながら、活動したという。その後、通いでは費用も時間もかさむこと、仕事が定年を迎えたタイミングもあり、一昨年の8月に、45年間暮らした神戸を離れて移住を決意。郡山で家を探し、奥さまと愛犬とともに移り住んだ。

 郡山へ移ってからは、インターネットでの情報発信も積極的に始めた。その成果で、それまで単独で活動していた給餌ボランティアのグループに横のつながりができた。また、ネットを見て、ボランティアに参加したり、フード等の支援も集まるようになったという。多くのボランティアは、東京周辺などから夜中に車で移動し、早朝から一日飯館村で活動を行う。女性も多い。本当に大変な活動だ。そのような中で、日比さんの自宅は、現地でのオアシスのような役目も果たしている。

他のボランティアも活動しているため、給餌状況のメモを残すこともある。

犬を思って小屋に毛布が入れられていることも多いが、毛布は濡れると乾きにくく、冬は氷ることもあるため、毎日通えないところでは、毛布は外しておくという。

 原発事故前の飯館村は、春から秋には花に満たされる村だった。山と谷が緩やかに続く風景は高原を思わせるが、海にも近いという恵まれた場所。また、多くが開拓地のため、村民の村に対する愛着も強い。しかし今は、多くの場所で放射線量計が3マイクロシーベルト/時という高い値を示す。春になると、無人の村に花だけが咲き乱れる。そんな村を毎日駆け巡りながら、「僕も若くないんだけど、あと5年か10年か、犬や猫たちが天寿をまっとうするまでは、彼らの命をつないでやりたい。原発を作った世代の責任ですかね」と、日比さんは穏やかに言う。

飯舘村内で、他のボランティアと合流することもよくある。一休みしたり、情報交換をしたりと貴重な時間だ。

取材協力=飯館村ワンニャン給餌ボランティア
http://ameblo.jp/t-hibidas/

文・写真=鳥塚俊洋