震災で傷ついた笠間焼のシンボル・登り窯
=茨城県笠間市

ボランティアの手によって復活

笠間焼は、水戸市の西部にある笠間市で江戸時代から200年続く陶業だ。かつては階段状に窯を並べた登り窯を用いて、すり鉢など台所で使われる陶器を大量に製造していた。プラスチックの器が普及した現在では、作家の個性を生かした、より芸術性を高めた工芸作品の創出にも力を注いでいる。

東日本大震災は、そんな陶芸の里も揺さぶった。笠間市は震度6強の揺れを観測。レンガを組み、粘土で固めた登り窯は元来揺れに強い構造ではなく、市内に残っていた6基の登り窯は、すべてが損壊した。

「登り窯以外の窯にも、7割にトラブルが発生しました。さらに、陶芸の作品の7割が、棚から落ちて割れるといった被害を受けました」(深町明・笠間焼協同組合事務局長 以下同)

笠間では毎年、ゴールデンウイークに笠間焼の祭典「笠間の陶炎祭(ひまつり)」が行われる。本来ならば、3月はそれに向けて作品づくりの山場を迎える時期だ。しかし、東日本大震災は、出品するはずの作品や、それを焼成する窯も奪った。当時は余震も続き、行楽やイベントの自粛ムードもあった。果たして陶炎祭を開催すべきなのか。それを問う会合が、大震災から1週間後に開かれた。

「当時はガソリン不足のため、会場に来られない窯主もいましたが、開催をやめたいという人はひとりもいなかったですね」

その年の陶炎祭には、過去最高の38万人が訪れたという。

「陶炎祭の会場で登り窯の復興サポーターの募集をしたところ、100人近く集まってくれました。平成23年7月から復興イベントを開催して、サポーターの方には損壊した登り窯のレンガを取り除いたり、使えるレンガを再利用するためにセメントを剥がしたり、といった作業をお願いしました」

復興イベントで、ボランティアがレンガを再利用するための作業にあたる。(写真=笠間焼協同組合)

レンガが組みあがったら、表面を粘土で覆う。復興作業もいよいよ大詰めだ。(写真=同)

それから週末を中心にイベントが開かれ、昨年9月に最後の登り窯の修復が終わった。しかし、登り窯復興プロジェクトは、これで終わりというわけではない。

「笠間が好き、陶器が好きで集まってくれた人たちですので、今後は内外で笠間焼をPRしてもらったりという活動を続けていこうと思っています」

大震災で落ち込んだ笠間焼の生産量は、いまでは元通りに回復した。笠間を訪れる観光客も、最近になって震災前と同程度まで回復したとみられる。

「ようやく平常通りになってきた気がします」深町事務局長は3年間を振り返った。

今年2月24日から、震災以来中止していた「登り窯まつり」が復活する。2月28日にはいよいよ登り窯に火が入り、3日間火を絶やさずに焼成する。煙突から火が噴き出るほどの強い火力は圧巻。震災から3年を迎える3月11日に、作品を窯から出す予定だ。

 登り窯まつりが開かれる、市内の奥田製陶所の登り窯を訪ねた。修復を終えた登り窯は、積み上げられたレンガや屋根の部分を囲う粘土がまだ初々しい。だが、登り窯まつりの焼成が終わると、窯の内外にススが付いて風格が出るという。

登り窯のススが濃くなるに連れて、陶器の里の復興も進んでいく。

ボランティアらの手によって復活した奥田製陶所の登り窯。間もなく行われる登り窯まつりで、初めて火が入る。