「『逃げる』という強い気持ちを持って。
避難できたなら、絶対に戻らないこと」

●宮古市「学ぶ防災」澤口強さん

まずは宮古市田老地区の巨大防潮堤の上に上り、ガイドを行う。

津波で1~3階まで被災した「たろう観光ホテル」。ガイド時は6階に移動し、ホテルで撮影された震災当日の津波映像を見る。建物は震災遺構として保存される予定だ。

津波で被害を受けた、たろう観光ホテルの2階部分。

たろう観光ホテルの屋上から見た田老地区 (撮影=落合憲弘)

●宮古市「宮古観光協会・学ぶ防災」

震災ガイド・澤口強さん

田老地区は、放射状に道路が整備され、40か所以上の避難場所がありました。津波が来るまで45分の時間がありましたが、181名の人が亡くなりました。

原因としては地震後に停電が起こり、なぜか防災無線が不通になって津波警報が届かなかったこと。そして、防潮堤があるので安心していたということもあります。日本で一番の防潮堤があった。そのことで逆に、「逃げる」という気持ちが足りなかったのです。

防潮堤で、まったく第一波が見えませんでした。一旦高台に逃げたのに、家に戻って津波に巻き込まれた方も多いのです。上着、ペット、貴重品などが気になって……でも、避難できたなら、絶対に戻らないでください。これは大切です。

防潮堤の役割とは何だったのか。ひとつは「防潮堤が少しでも波を抑えている間に逃げる」ということでした。そして、津波後に防潮堤が決壊したところは財産もご遺体もなくなりましたが、防潮堤が残った内側はがれきやご遺体が残りました。内と外では全然様子が違います。また、田老のがれきの特徴は2階が残っている建物が多いということです。防潮堤を乗り越えた波がすべるように押し寄せ、だるま落としのように1階部分を破壊しましたが、2階部分は残りました。防潮堤にはそんな役割もありました。しかし、防潮堤があってよかったのか、という気持ちもあります。

津波の映像もテレビで見ると、どうしても他人事のように感じてしまいます。ですから、私たちのプログラムでは実際に映像をとった場所で、実際に起きた映像を見ていただいて、景色と比較してもらいます。映像は「たろう観光ホテル」の社長さんが当日このホテルの屋上から撮影したものです。社長さんも、そんなに大きな津波は来ないだろうと思っていました。停電前に「3mの津波」と情報が入っていたのを聞いていたからです。でも実際は3階まで津波が到達し、2階までは骨組みだけになりました。7階の屋上までも、押しつぶされた家屋の破片が舞って、建物は船に乗っているような感じになったそうです。

宮古では震災語り部ではなく、自分たちを「防災ガイド」と言っています。参加していただいて、大切な人といっしょに動くためにはどうしたらいいか、命の大切さ、考えていただくためのガイドです。ラジオは停電でも聞けたので、情報が得られましたが、テレビではダメでした。ラジオやペンライト、笛は大切です。そういった具体的な知識もお伝えしています。

田老でたくさんの人が命を落としたことについて、私は悲しいというよりは「悔しい」という気持ちでいっぱいです。「防潮堤があるから」という油断と、「逃げる」という気持ちが足りなかったこと。「まさかここまでくるとは思わなかった」と、津波への意識が高い田老の人でもそう言う人が多かったのです。今までもニュースなどで見たことを、自分たちもどこか人ごとのように見ていたのかなという、後悔があります。未来で子どもたちが悲しくつらい思いをしないように、また繰り返さないように。自分たちの世代で、すぐにでも、少しずつ行動していきます(談)。

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岩手県宮古市の巨大防潮堤の上から田老地区の様子を案内後、津波で1~3階まで被災した「たろう観光ホテル」の6階に移動し、ホテルで撮影された震災当日の津波映像を見る。4,000円~(1~約40名程度、応相談)問℡0193・77・3305