JAF Mate Neo 懐かしの旧車

2018/11/30

【お台場旧車天国2018:その1】
これらを見たら運気が上がる!? バブルカーや黎明期の軽4輪など、マニアも驚くクルマをピックアップ!

 11月18日に開催された国内最大級の旧車イベント「お台場旧車天国」。懐かしの大衆車に始まり、スーパーカー、クラシックカー、幻の名車、改造車、さらには珍車に迷車まで、日本中から2輪・4輪の旧車約700台が集合した。

 そのリポート第1弾は、「マニアック天国」エリアに展示されていた、国内外のバブルカーや黎明期の軽4輪など、知る人ぞ知る歴史的なクルマを紹介する。

日本初のFRP製ボディ採用の軽3輪「フジキャビン」(初期型)

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富士自動車「フジキャビン」。その曲面を多用したエクステリアは日本製バブルカーというイメージ。

 「フジキャビン」は、戦前に日産のカーデザイナー兼設計者として活躍した富谷龍一氏が富士自動車で手がけた軽自動車規格の3輪車で、1955(昭和30)年に発表された。前2輪+後1輪の逆三輪型で、当時の最新素材だったFRPを日本で初めてを採用した軽3輪だ。現在でいうところのマイクロコミューターの走りといえる。しかし当時の国内は未舗装路がとても多く、走破性の低い小径タイヤが悪路に合わなかったため、まったく売れなかったという。展示車両は左側にのみドアがある初期型で、「フジキャビン」の中でも貴重な1台だ。

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「フジキャビン」の片側ドアを開けたところ。ステアリングが円形ではないところが、レトロフューチャーな雰囲気。

バブルカー・メッサーシュミットのスポーツモデル「スーパー200」

 第2次大戦中にドイツ空軍を支えたメッサーシュミットは、敗戦国の航空機メーカーの常として、主力商品である航空機の開発・生産を禁止されてしまう。そこで目をつけたのが、スクーターにキャビンを設けたバブルカー(キャビンスクーター、マイクロカーなどとも呼ばれる)だ。

 バブルカーは戦後、経済的に混乱する欧州で流行し、メッサーシュミット「KR175」などは、敗戦国であるが故に不安定な経済状態が長引いたドイツを支えたのである(別記事『第2次大戦後の西ドイツで活躍したキャビンスクーターの傑作! メッサーシュミット「KR175」』に詳報)。

 格安な人々の足として、どのバブルカーも実用性を最重視して世に送り出されたが、メッサーシュミットだけはそれでは終わらず、趣味性にもこだわった。前面投影面積の少ない空力性能を重視したボディを備え、エンジンは排気量200cc・出力10馬力ながら優れた加速性能を発揮させるなど、バブルカーの中のスポーツ性にこだわったのが「スーパー200」だったのである。

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メッサーシュミット「スーパー200」。「KR175」などと同様に、前2輪・後1輪のリバーストライク型の3輪車だ。展示車両はレプリカ車である。

日本初の4輪軽自動車「オートサンダル」の前期型と中期型

 1952(昭和27)年から2年間だけ存在していたという日本オートサンダル自動車が製造した、日本初の4輪軽自動車「オートサンダル」。福岡で旧車を取り扱うセピアコレクションが所蔵する2台で、ほかの現存車の情報は不明だという。生産台数も数百台とされ、レアなクルマだ。

 軽自動車規格は1949(昭和24)年7月に制定され、当初は2輪、3輪、4輪の区別がなかった。翌1950年7月にそれらの区別が設けられ、さらに翌1951年8月には3輪と4輪の排気量が拡大され、4サイクルは360cc、2サイクルは240ccとなったという歴史がある(このほか、1949~1954年までは毎年何らかの改訂が行われ、その後も数度の改訂を経て現在に至る)。

 軽4輪というと、1958(昭和33)年から販売されたスバル「360」が最初のイメージを受けるが、正確には"初めてヒットした軽4輪"である(別記事『あだ名はテントウムシ! スバル初の4輪車兼軽自動車で 大ヒット作の「スバル360」』に詳報)。実際には、1952年に発表されたこの「オートサンダル」こそが、最初の軽4輪だったといわれている。

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日本オートサンダル自動車「オートサンダル」前期型。65年以上前に誕生した、初めての軽自動車規格の4輪車とされている。

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「オートサンダル」中期型。非常に程度のいい状態で保存されている。

元・日産の富谷龍一氏が手がけた軽4輪「フライングフェザー」

 1954(昭和29)年に発表された住之江製作所の「フライングフェザー」は、富士自動車の軽3輪「フジキャビン」と同じく、戦前に日産でデザイナー兼設計者として活躍した富谷龍一氏が手がけた軽4輪だ。

 富谷氏は、クルマ作りにおいて経済性に重きを置いており、誰もが購入できる国民車を戦前より構想していたという。「フライングフェザー」は、1952(昭和27)年に大量輸入されたシトロエン「2CV」(別記事『マニア垂涎! シトロエンの往年の名車「2CV(ドゥーシボー)」』)の設計思想の影響を受けて開発されたと伝えられる。しかし、残念なことに国民車と呼ばれるほどにヒットすることはなかった。

 歴史的には、1955(昭和30)年に通商産業省(現・経済産業省)が国民車構想を発表し、それに応じたスバルが自動車産業に参入。そして、いくつもの新機軸を投入して開発した「360」が1958(昭和33)年3月に発表され、国民車といわれるような大ヒットを重ねていくのである。

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誰でも購入できる経済性を最重視して開発された住之江製作所「フライングフェザー」。しかし国民車となることはなかった。

2018年11月29日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)

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