JAF Mate Neo ぼくは、車と生きてきた

2017/07/10

日産・パイクカーシリーズ

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イラスト=waruta

「なんでもあり」の80年代をひとつ象徴する国産車が、日産のパイクカーシリーズだった。パイクカーの"pike"とは「槍の剣先」のこと。「トンがったクルマ」くらいの意味だろう。

87年にローバーミニ風のBe-1が登場し、サファリカー風のパオが89年に続き、90年代に入ってから、フィガロが出た。1万台といわれたBe-1を初めとして、いずれも限定生産。ベース車両は3台すべて初代マーチで、生産委託を受けた高田工業でつくられた。少量生産であることから、ボディー外板に樹脂パーツが多用されたのが特徴のひとつといえる。

トンがったデザインと"限定"が引きとなって、とくに第一弾のBe-1はプレミアがつくほどの人気を呼んだ。当時、ローバーミニの販売店には、買えなかったBe-1とそっくりのクルマを見つけて訪ねてきた、というお客さんがけっこういたとか。

パイクカーシリーズは新車のときにすべて試乗しているが、どんな乗り味だったかは、不思議と記憶がない。しかしそのなかでもクルマとしていちばん印象に残っているのは、91年2月に出た最終3作目のフィガロである。限定2万台のうち、第一期の販売台数は8000台。バレンタインデーの発売日から1ヵ月の申し込み期間に21万件の応募があった。フィガロと結婚するのはタイヘンだったのだ。なんて、うまいこと言わせてくれただけでなく、クルマとしてもなかなかの意欲作だった。

987cc4気筒NAだったBe-1、パオに対して、フィガロにはターボ付きエンジンが搭載された。2ドアクーペボディーの上屋は"フルオープントップ"と呼ばれ、リアの収納リッドのフタを開け、ソフトトップをしまうと、ボディーのサイドパネルだけを残して青天井にすることができた。いわばセミオープンカー。操作は人力だが、慣れれば、ひとりでも30秒とかからなかった。

メーカーから借りた試乗車で走っていると、どこでも注目を浴びた。高速道路で追い越し車線に出れば、前のクルマはたいていすぐに道を譲ってくれた。およそ押し出しのきかないヘタウマ漫画みたいなファニーな顔つきなのにどうして? と思ったが、たぶんみなさん、噂のフィガロを後ろからじっくり観察したかったのだと思う。

80年代の日本車の大きな流れは、ハイパワー競争である。パイクカーの元ネタだった初代マーチにも、ターボ+スーパーチャージャーの"スーパーターボ"なんていうリトルモンスターが現れた。

その一方で、Be-1やパオやフィガロが生まれ、ツインカムターボスーパーチャージャーに勝るとも劣らない人気を博した。いまで言う「癒し系」の日産パイクカーは、あの時代の必然だったと思う。

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初代マーチを土台にしたパイクカー達の、内外装を振り返る。上は、1987年に発売された長男格のBe-1。

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ドライバーの正面に大きな速度計があり、その左下にタコメーターがレイアウトされる。

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Be-1に次いで1989年に発売になったPAO(パオ)。運転席と助手席に設けられた三角窓や、外付のドアヒンジがクラシック感を醸し出す。

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インパネに目を向けると、ボディ同色のダッシュボードやハンドルの奥にあるトグルスイッチがレトロ感を強調している。

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1991年に発売された3兄弟の末弟がフィガロ。キャンバストップのルーフが開閉できるクーペスタイルで登場した。

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インパネや革シートの色が白で統一され、上質な印象となった。

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Be-1は、車両だけでなく、さまざまな関連商品も販売された。写真は、東京・青山にあったBe-1ショップ。

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Tシャツやパーカー、バッグ、時計などが店内に並んだ。

文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)

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