JAF Mate Neo ぼくは、車と生きてきた

2018/04/10

いすゞ・ピアッツァ(初代)

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イラスト=waruta

 いすゞが国内で乗用車を販売していたころ、そのニューモデルはいつも格別に楽しみだった。大メーカーのやらない、なにか新しいことをやってくれそうな進取の気性に富んでいたからだ。

 81年に出たピアッツァも、登場前から期待を持たせる注目度の高いニューモデルだった。ハイライトは、見てのとおりこのスタイリング。ジョルジェット・ジウジアーロがデザインした未来的で美しい3ドアクーペボディーが、ピアッツァの真骨頂だった。

 80年代になったばかりのあのころ、美しいを通り越して、ちょっとブッ飛んでも見えたのはほかでもない。もともとこのクルマは、79年のジュネーブショーに出展されたショーモデルだった。いすゞジェミニの車台にジウジアーロのボディーを載せた "アッソ・ディ・フィオーリ"(クラブのエース)である。その2年後には"いすゞX"として81年ジュネーブショーのブースに現れた。ピアッツァ国内発売の3カ月前である。

 当時、自動車雑誌の新米記者だった筆者は、ジウジアーロが主宰するイタルデザインを訪ね、いすゞXを取材する編集長のカバン持ちを仰せつかった。

 左ハンドルであることを除くと、いすゞXはほぼピアッツァそのものである。このデザインの特徴は、いわゆるフラッシュサーフェス(面一)処理を徹底したことである。とくにウィンドウ類とボディーやピラーとのあいだに段差がほとんどない。それが卵のカラをツルンとむいたようなかたまり感を生んでいる。結果として、ショーカーをショーカーのまま生産化してくれたいすゞの技術をジウジアーロはとてもほめていた。

 1台のいすゞXを借り出して、まる一日、トリノ近郊を走った。道案内として、イタルデザインのメカニックが後席に同乗してくれた。山の中のワインディングロードを上ってゆくと、向こうのコーナーから"PROVA"(試験)というナンバーを付けたランチア・ガンマがドリフトするようなスピードで飛び出してきた。ランチアのテストだという。イタリア車、スゲェ!と思った。

 カメラマンを同行する予算はなかったので、筆者が写真を撮った。当然、アナログカメラの時代である。フィルムちゃんと入れたかな、とか心配しながら、サクラ・ディ・サンミケーレ修道院をバックに撮ったいすゞXが81年5月号の表紙になった。粒子の荒れた、いま見ても赤面ものの素人写真だが、それでも編集長や写真部が許可を出すほどピアッツァにはニュースバリューがあったのだ。

 ピアッツァは、同じくジウジアーロの作だった117クーペの後継モデルと言われたが、実用性は高かった。大きく開くテールゲートと荷室を備え、リアシートには大人がちゃんと座れた。シャシーの基本はFRのジェミニ。そこに117クーペ用2リッター4気筒をブラッシュアップしたパワートレインを搭載する。見た目はアヴァンギャルドでも、中身は堅実で、いまふうの言葉で言うと、「美しすぎるファミリーカー」としても人気を誇った。

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デビュー当初、ピアッツァはフェンダーミラーを装着していた。当時、ドアミラーは認可されていなかった。


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後にドアミラーの装着が認められるようになり、ドアミラーが標準装備になり、ボンネット周りがすっきりとした。写真は当時の親会社であるGMとの関係が深かった、ドイツのチューナー・イルムシャーが手掛けたモデル。ロータス社による「ハンドリング・バイ・ロータス」モデルも存在した。

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ピアッツァのインパネ周り。20を超すスイッチやボタンが、ステアリングを握ったまま操作できるサテライトスイッチが装備されていた。サテライトスイッチの照明やイラストにあるデジタルメーターが織りなす夜景は、近未来的に見えたことだろう。

文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)

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