JAF Mate Neo くるナンデス

2018/07/13

技術でレースを席巻、510ブルーバード
【元自動車メーカーエンジニアが選んだ
哲学が感じられる名車たち】

見ても乗っても最新だったブルーバード

 ブレーキはディスクを前輪に採用。サスペンションは日産初の四輪独立懸架で、フロントはストラット、リアはセミトレーリング。それまでのリジットアクスルに比べると操安性能、乗り心地ともに群を抜いて良かった。(関連記事

 デザインは、これらの先進技術を表現した前衛的な"スーパーソニックライン"というもの。フロントウインドーを大きく傾け、三角窓を持たない画期的なものだ。私は、510はサスペンションの方式も、OHCエンジンを斜めにしたことも、当時のBMWを範にしたのではないかと思っている。

 DATSUNの名称は、日産自動車の前身のひとつである「快進社」(11年)の支援メンバーであった田健次郎、青山禄郎、竹内明太郎の頭文字と、脱兎のごとく走ることに掛け、「脱兎号(DAT CAR)」としたことに始まる。後に「DAT」の息子の意からDATSONとした。ところが「SON」は損に繋がることから「SUN」とし、DATSUNに改名したという。その後(33年)、政府方針でダット自動車、石川島自動車製作所、東京瓦斯電気工業の3社が合併し、日本産業系列に「自動車製造会社」が創設され、翌年「日産自動車」に改名した。ちなみにプリンス自動車との合併は、66年のことだ。(関連記事

 前述の一連のレース活動によって、ダットサンの名前は、全米に轟き渡った。その最中に日産の石原社長(当時)がアメリカを訪れ、名刺を出したところ、「ニッサンはダットサンの子会社ですか?」と聞かれたというのだ。この一言に社長は、かなり立腹したようで、80年代に数百億円をかけて、全米の表示をDATSUNからNISSANに切り替えたという。

 ところが北米で近々、このダットサンの名前を復活させるのだそうだ。ダットサンという言葉には、あらゆる自動車ブランドを超越したなんとも言えぬ響きがあり、いまだに世界中の人々から親しまれている。それがここに来て復活するのは嬉しい限りだ。

文=立花啓毅
1942年生まれ。ブリヂストンサイクル工業を経て、68年東洋工業(現マツダ)入社。在籍時は初代FFファミリアや初代FFカペラ、2代目RXー7やユーノス・ロードスターといった幾多の名車を開発。

(この記事はJAFMateNeo2014年8,9月号掲載「哲学車」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)

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