JAF Mate Neo JAF Mate読者が綴った8作品 大公開!

2017/03/10

私の車の変遷
~日野コンテッサからホンダFITまで~

 JAF Mate読者から寄稿を募り、このたび8作品を大公開。この企画では、記事を多く読んでもらうほど、投稿者様への謝礼もUPします! 集計期間は5/10正午まで。気に入った記事は、ぜひお友達にも紹介してファンを増やしてあげてくださいね。

 それでは、ペンネーム・横山春樹さんの作品をどうぞ!


 1962年から現在まで乗り継いだ11台の車の思い出を綴ってみました。
 懐かしい写真とともにぜひご覧ください。

1962年 日野 コンテッサ

 1962年、私が大学生の時に日野コンテッサを親に買ってもらったのですが、これが私の所有する最初の車になりました。当時はフランスのルノーを国産化した車(日野 ルノー PA62型)を買うつもりでいたのですが、従兄が「性能が今一つらしい」というので、コンテッサを選んだのですが、コンテッサも似たり寄ったりで、箱根の山道をやっと走るような状態。燃費も悪く結局は1年位で売却してしまいました。

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●日野 初代コンテッサ900

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●大学の友人と日光にドライブに行った時、まさかのオーバーヒートに遭遇。これはその時の記念(?)写真。

1964年 日産 ブルーバード

 1964年にオリンピックが東京で開催された時、私は選手を送迎するアルバイトをしていました。その時の車が日産のブルーバードだったのですが、今でもアクセルの感触は覚えています。この当時は日産のブルーバードとトヨタのカローラが圧倒的に人気があり、この2車はその後長い間性能、デザイン面でライバルであったことはご存知のとおり。

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●日産 2代目ブルーバード 410型系 ※イメージ

1965年 トヨタ パブリカ

 1965年に就職してからトヨタのパブリカを購入。当時、パブリカは「国民車」と呼ばれ人気がありました。800ccで2気筒だったので、エンジンをかけるとボデイが揺れる、そんなコンパクトな車でした。それにしても当時のタイヤはよくパンクしたもので、ジャッキを使ってしょっちゅうタイヤ交換をしたものです。またエンジンオイルの消費が激しく、頻繁にオイルを補充していた記憶があります。ボデイはブリキみたいな造りでしたが、よく走る車で70,000km以上走りました。会社の同僚とドライブに行った時に走行距離が70,000kmになり、車を止めて車体にコーラをかけて祝ったのも、とてもいい思い出です。

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●トヨタ 初代パプリカ

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●小さくても70,000kmを超える距離を走ってくれました。



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